- その4 湯めぐり等のあと能登の和倉温泉泊、翌日は能登島へ -



和倉温泉。多くの宿がいまだ休業の中、数少ない一般客OKのお宿へ。

(2024年11月1日-4日 その4)

止まない雨の中、なかなかこちら方面には来られないのであまりがっつかずとも行きたい湯を目指します。まずは‥







湯谷温泉。超ドバドバで有名な温泉です。幸い空いているようで何より。入浴料をお支払いした上でお風呂へは長い長い廊下の先の階段を下りていきます。さすが「湯谷」という名のとおりです。



廊下を歩いた先には階段、その先に男女別浴室への分岐がありますが、何と男湯には(すぐ前に入ったばかりの)先客さんが。それと浴室撮影禁止の掲示もありました(残念)。ここは超ドバドバと温泉バズーカ砲で有名ですが、まったり系の先客さんに遠慮してバズーカもちょっと上げ下げしただけでした。

たぶん先人の無礼により撮禁となったのでしょうが、ここは何とか「無人の場合」とか「他のお客の許可を得て」の条件付きで撮影を許可してほしいなあ。まぁいずれにせよこの日は無理でしたが。有名湯ですし数年前までの画像や動画はネットに上がっていますから、ネットで検索すればすぐに出てきます(公式サイトはなし)。

泉質は単純泉なのですが、とにかく怒涛の投入量であること、そして源泉直結ということでのアワアワの付き具合が実にヨロシイ。



湯から上がってきましたが、ご覧のとおり温泉はダム(小牧ダム)の直下にあります。そのため河原の脇にある浴室は緊急放流時などには入浴禁止になるのだとか(滅多にないでしょうが)。

雨はさらにひどくなってきましたが、そんな中(風呂上がりということもあり)道路までの坂道歩道を上る道のりで小汗をかきつつ、さてさらに先へと進みましょう。





砺波ICから高速に乗り、でもすぐ先の高岡北ICで下りてやってきたのは‥





まぁこのエリアにはほぼ来ていなかったので「取りこぼしだらけ」なんですけれどね。絶賛大雨の中ながら先客さん多し&撮禁なのでこちらもお風呂画像はありません。茶濁りの湯は鉄分の酸化によるもので、かけ流しの投入湯は透明でした。

口に含んでみると「しょっぱ!」。泉質が「ナトリウム-塩化物強塩泉」なので透明ですが、鉄っぽさも感じられたのは湯の色を見れば当然でしょう。何というか、ねっとりとまとわりつくような浴感なのは塩の濃さによるものなのかと。

湯上がりの汗が止まらないのは予想通りでしたが、外は大雨ですから玄関入り口の屋根下でクールダウンするしかありません(ま、そこが喫煙所でもあるのですが)。本当は少し歩き回って涼みたいところでした。

さてこのあとは氷見南ICから能越自動車道を北上します。雨は小やみになってきましたが、1台前になかなか素晴らしく安全運転というか、



もちろん後ろには大名行車列ができていました。いくつかのICを過ぎた先で下りていきましてよし!いや、自分も次のICで下りたのですが。





この時は2024/11上旬でしたが、能登の現地情報はあまりわかっていなかったとはいえ「先っぽに行けば行くほどいろいろ大変=まだ迷惑だろう」と考えて、半島のエントランスエリアに位置する七尾市の和倉温泉、そして翌日には能登島を訪問する計画を立てていました。珠洲や輪島にも行きたかったのですが(自分が高校2年生の冬以来行っていないので@40年以上前です)、もっと復興が進んだころに再訪しましょう。

東日本大震災の三陸沿岸ではいわゆる「櫛の歯作戦」(内陸側からそれぞれの道路を啓開して海岸部に至る)が可能であったため、被害は甚大ではあっても復興作業は比較的早く始められたといいます。いっぽうで能登では「一本道」の区間も多くそもそも復興関係の車両が入れずに作業が進められなかったという事情も大きいと思います。被災地の復興に関わる進展状況は単純に比較できないのです。そしてあの豪雨災害めちくしょう。




(画像は石川県公式サイトからお借りしてリサイズしました)

今回訪問&宿泊した和倉温泉&能登島は上地図の最下部に位置しており、「あまり被害は‥」というように思えてしまいますがさにあらず。詳しくはこれ以降で書きますが、そもそも上の地図に入ってもいないエリアでも屋根のブルーシートはあちこちで見受けたわけですし、和倉温泉はホテルはもちろんのこと一般民家も相当に被害を受けていました。



というわけで本日のお宿たる「花ごよみ」さんに到着です。和倉温泉の中ではかなり小規模なお宿ですが(全10室)、かの震災で大きなお宿は全て休業中でした。また震災を抜きにしても和倉温泉で数少ないかけ流しの湯宿ということで、地震がなくてもたぶんこちらのお宿を選んだだろうなと思います。

部屋の窓から山側を見ると、あちこちの家屋の屋根にブルーシートが掛けられています。ただ、ブルーシートも紫外線の影響により約1年ほどで劣化する(防水性がなくなる)ということのようですし、そろそろ(雪が来る前に)付け替えた方がいいのではないかなと。この和倉周辺ではほとんどの皆さんが自宅にお住まいだと思いますから状況は違うと思いますがが、福島の災害後、1年経ち2年経ちそして5年10年‥のブルーシートの劣化(いつの間にか色褪せほぐれてなくなった)のを見ていますから。



チェックイン後雨の止んだお宿前に出てみると、源泉を流す管がありました。ここは手湯として湯温を加減していましたが(でも熱め)、そもそも熱い源泉ですので総湯と海沿いの源泉場では‥あ゛(未確認でした)、温泉たまごが作れます。

部屋に戻り、早めチェックインなので(暗くなる前にね)お風呂に行きましょう。上でも書いたようにこちらのお宿はかけ流しの湯なので、まだ明るく&湯がなまる前に入っておきたいですしね。それにしても大規模系の施設を中心に多くの宿が休業している中(組合所属の21宿のうち2024/11/1現在で営業していたのは4宿のみ)、源泉はかなり余っているのじゃないかな?(どうでもいい話)。







和倉温泉の泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物泉で、震災前は動力で1600L/minの湯を揚げていたのだとか(現在は不明)。透明湯なのですが、上画像だとうっすら色が付いているようにも見えますね(浴槽タイルの関係かも)。

塩分が濃いこともあり浴感はこちらも(神代温泉に引き続き)ねっとり系で、この時期(11月初旬)でさえも湯上がりには汗が止まりませんでした。あ、そんな湯上がりにうれしいサービスが。





‥一瞬にして飲みきってしまいました(そりゃそうだ)。なお大手メーカーのものではなくローカル系飲料会社のものでしたが、かえって僅かながら地域産業に貢献というか「塵をも積もらせ山とする」べきなので。

さて日も短くなってきまして徐々に夕方に。画像はありませんが、大規模な湯宿(地上5-6階建て以上)は1棟を除いて灯りが点くことはありませんでした。和倉温泉を訪問したのは初めてでしたが、やっぱり何だか悲しい気持ちになります。このページを作成している2025/1現在においても各宿の公式ウェブサイトには「営業再開の目途は立っていない」という文字ばかりが並んでいます。何とも残念なことです。

さてしかし、こちらの「花ごよみ」さんではすでにわれわれのような一般客も受け入れOKですから、堂々と振る舞い、そしてお金を使えばいいのです。というわけで夕ごはーん!





そりゃそうです、一番安いスタンダードプランですから。いやとにかく食事に関しては特にTakemaが少食なので少しでも品数が少ないコースを選ばざるを得ないのです。おしんこどんスマソ。

ただ蟹は好きなんでウフフのズワイガニ別注文もありか?とも思っていたのですが、ズワイガニの漁期は11/6、つまりこの連休明け(の立冬)からなのだそうで野望も叶わずでした。







あとから天ぷらが出てくるかなと思っていたらサンマが出てきたのはちょっと意外でした(笑)。でもサンマも高いですからねぇ。その昔々、晩秋に奥会津檜枝岐のAコープでサンマを買い、そのまま尾瀬沼のキャンプ場で1人焼いて食べたことを思い出しました。あれは旨かったけれど寒かったなぁ(その時のページはこちら。それにしても四半世紀前に作ったページたるやレイアウトとか無茶苦茶ですな=ただし今さら直す気はゼロです)。



明けて翌朝。共同浴場「総湯」は朝7時から営業ということもあってすでに駐車場には車が並んでいます。今回総湯へは行きませんでした。循環湯であるということも理由の1つでしたが、ほとんどの宿が休業していることもあり、これらの車で来ている方のほとんどは地元住民の皆さん、または復興作業に携わっている方々でしょうから。

というわけで観光客のわれわれはのんびりとお宿で朝ごはんです。適量でよしよし(それでも普段の朝ごはんの3倍くらいの総量ですが=だから職場のお昼ごはんタイムは早めにしている=お昼ごはんタイムは各自自由にという職場です)。



チェックアウト後は海側に行ってみました。というかここ和倉温泉の源泉は海際にあるというか、源泉確保のために海側を埋め立てたという歴史があるようです。しかし源泉公園はちらりと見ただけでほぼ通過。それより海岸沿いのお宿が‥






何とか頑張ってほしいと思いつつ和倉温泉をあとにして島へ‥いや、行政区分としては同じ七尾市なのですが‥





七尾市は能登半島の根元近くに位置していますが和倉温泉以外でも多くの被害が出ており、能登島に渡る橋は2本あるのですが、北側の「ツインブリッジのと」は2025/1現在においても通行止めで、橋の修理(本復旧)には3年程度かかるといわれています。今回は被害を免れた能登島大橋(震災翌日から通行可能)を渡って島に渡るわけです。



橋上から北を見渡すと、破損したツインブリッジが見えていました。橋台や橋脚計4カ所に「何とか落橋を免れた」というレベルの損傷を受けたようです。まずは2025年中に仮復旧をということですが、大変だと思うと同時に「こちらの橋が無事でよかった」と思うばかりです。

島に渡ると、舗装をし直した場所も一部に見られ、また右上画像のように段差ができたままの箇所もありました。そしてナビを見ていると「この先通行止め」の箇所があります。え?周回できないの?と不安になりました。そしてその先には‥





これでは通れるはずもない‥のですが、不幸中の幸いというべきか、ちょうど崩落部分のわずかに手前左側から旧道が分岐しており、そちらを通ることで抜けられました。どうやら崩落したこの道は、海沿いの集落内をパスするための新道だったようです。集落内は家が建て込んでおり道路の拡幅は無理だということだったのでしょう。集落の孤立も避けられたのは何よりでした。

なおこの日はごらんの通りよいお天気で、集落の堤防付近では釣りに興じる方々の姿も見られました。地元在住の方々ばかりでもなく、県内他地域(近隣)の方々や親子連れの姿もありました。そう、こうして少しずつ日常の姿に戻っていくのだなということを初めて感じたのは福島県の松川浦(津波で被災)の岸壁で釣りをしている若者の姿を見たときだったかな(この時です)。



道の駅のとじままでやってきましたが、道の駅の建物も損傷して休業中。被害が少なかったファストフードコーナーで「能登ミルクソフト」を販売しているようですが、残念ながら時間が早すぎてまだ営業していませんでした。でもおしんこどんがあることに気づいたのです。









考えてみればまだ能登に来てコンビニとお宿以外でまったくお金を使っていません。このあと別の場所で買い物をするつもりではありましたが、やはりここ能登島でも何かを買わねば!

ただグラス等はとりあえず間に合っているし‥と、ここでおしんこどんが(珍しく)ガラス細工のネックレスを所望。そして自分は‥





ただそれでも能登ミルクソフト販売開始までには間があり、この日は長野のお宿泊まり(途中寄り道多し)なのでそろそろ出発しないとなりません。というわけで涙をのんで出発した次第です。



通行止めや復旧工事に伴う片側通行などもありましたが‥



再び大橋経由で和倉側へ。あれれあそこも崩れちゃってる‥。

さてこのあとはお買い物‥ですが、まさかの餌やりアトラクションまで!

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