- 2017夏 キルギス旅行編 その4 アルマトイからキルギスの首都ビシュケクへ移動 -



キルギスの首都ビシュケクも暑かった!この時の推定気温33-35度、ミストシャワーが心地よい♪

くされエアコン(実質ただの送風機)のおかげでじっくり寝られなかったわれわれですが、朝は普通にやってきます。幸いカザフスタン&キルギスの時差は日本より3時間遅れで、要は3時間寝坊が出来るパターンなので時差関係は問題なし。これが北米大陸方面だときついんですけれどね。もちろん朝シャワーで寝汗を流した上で朝ごはん。



食事場所のエアコンもあんまり効いていませんでしたが、基本的に夏の一時期を除けば涼しい(&寒い)国だからなのかな(とこの時は思っていました)。朝ごはん会場には高校生か大学生のバスケットボール選手とおぼしき学生とコーチが。なお壁には往時のシルクロードを思わせる絵がいくつも飾られていました。そう、カザフスタン(南部)もキルギスも、その昔は東西を結ぶ交易路だったわけですからね。ちなみにお隣の部屋はコンベンションホールというか結婚式場というか、円形のホールにもっと立派な意匠が施されておりました(のぞいただけ=右上画像マウスオン)。



朝食後は部屋に戻ってしばし休憩。このにっくきエアコンは(実質的にはただのうるさい送風機)ホントに役に立たなかったわけですが、結果論としてはどうやらこの部屋だけの問題だったのかなと。そして「311」号室だけに日本人としては避けたいなと。



この日もいい天気、日射しは朝から強いですがさすがに朝方は涼しいです。旧ソビエト諸国ということで定番ともいえるトロリーバスも新車が走ってます(もっとも旧ソビエトがなぜトロリーバスにこだわったのかのは謎)。上画像は朝早くの撮影なので車が少ないですが、このあと一気に車が増えました。間違いなく多数を占めるのが日本メーカーの車なんですが、案外左ハンドル車が多いなという印象(=日本の中古車を輸入したのではなく現地生産車)。このことについてはまたあとの方で書きます。



さてこの日の目的地ビシュケクへは陸路で国境を越えるわけで、とりあえず手配したのが上画像のタクシー。バスだとぐんと安くあがることはわかっていたのですが、無理にケチることもないしという判断だったわけですが‥(苦笑)。

VWのきれいなタクシーで、ドアには「カザフスタンEXPO」のステッカーが。まさにこの同じ時期にEXPOが開催されていたわけですが、残念ながら場所はアスタナ(首都)なんですよね。同じ国内とはいえ、アスタナとアルマトイとは約950km離れているわけですから今回は断念せざるを得ません(というか今回の旅行メインはあくまでキルギスなので)。



というわけでいざ出発‥しましたが、おそらく近年急速に増えた自動車数にインフラが追いついていないのか、しっかり渋滞に巻き込まれました。それでもこの道だって片側3車線路なんですが‥ちなみに渋滞車列の中にしっかり物売りの売り子さんが出ているのにはちょっとほっこり(バナナを売ってました)。

ただ左上画像に見えている線路、これはトラム(路面電車)の線路なのですが、地下鉄の建設に伴い近年廃止されてしまったようです。いずれは路盤も撤去されて道路の一部となるのでしょうが、複線だし、専用軌道だし、この渋滞を考えると果たして本当に廃止が妥当だったのかと思ってしまいます。物売りさんがいるところをみるに渋滞は慢性的なんでしょうし。ハバロフスクのように維持してほしかったなぁ(ハバロフスク訪問時のページはこちら)。



ドライバーさんは英語不可ですが、人柄のよさは乗車する前の対応で(実はホテル前喫煙所にて身ぶり手ぶりで「あぁ、あなたが予約のお客さんなんですね」「EXPOのロゴマーク、撮って下さいね」という感じのやりとりをしていました)何となくわかっていましたし、運転も「相対的に」安全運転でしたからね(結局カザフスタンでは3台の車に乗りましたが、このドライバーさんが一番ジェントルだったと思います)。

パトカーに止められている車もあって、「嗚呼、いづこも同じ云々」と感慨にふける場面もありましたが(何のこっちゃ)、どうもエアコンが効かないようで途中で窓を開けることに。それだけならヨカッタのですが、ええっとここであらためて左上画像をご覧下さい。正規の車線じゃなくて中央の路側帯に車を乗り上げていることがおわかりでしょうか?







そんなわけで途中の駐車スペースにて停車。路肩じゃなく道路外に出たのは正しい判断ですが、そこまでにもそれなりの距離を走っていたので「車線の真ん中で動けなくなったらヤバイよなぁ」とちょっとヒヤヒヤしておりました。

さてしかし「エアコンが効かない」という段階で自分はマシントラブルに気づくべきだったのかもしれません。だってこんな時もありましたから(2015夏キューバ)。

でも今回はラジエーター液の不足ということでもなかったようです。右上画像マウスオンでわかりますがまだ補充液は残ってますし、そもそも液体があるからこそ湯気が出るわけですし(キューバのレンタカーの時はそれこそ補充液タンクがカラカラでした)。ラジエーターに至る配管のねじれや、もっと別の理由なのかなと。いずれにせよこのことにより「自分が四輪も二輪も、いわゆる外車は買いたくないな」という思いは強まりましたよ(笑)。メンテの手を入れながら長く乗るっていうポリシー、それを否定はしませんが、オイルほか定期的に交換すべきもの以外はノーメンテばんざいの自分にしてはくそくらえなのです。乗り替える前の四輪フォレスター(スバル)も、走行系トラブルは一度もなかったですよ(詳しくはこちら)。



そうこうしているうちに代車が到着。料金とかどうなるんだ?と不安に思ったりもしましたが(何せ英語が通じないので)、どうやら次のドライバーさんには払わなくていいみたい?(結局は勘違いでしたが)。その一方でびっくりしたのがわれわれが乗ってきた車の屋根に付いていた「TAXI」のマークをぱかっと取り外し、次に乗る車の屋根にパカンとつけちゃったこと(右上画像マウスオン)。うっそぉマグネット式なの?(風圧で飛びそうですが)。あ、今になって気づきましたが、どうしてこのタクシーマークだけキリル文字じゃなくてアルファベット表記だったんだろう?ちなみに次のドライバーさんからも「正規のタクシーだからね」ということでカードをもらいましたから大丈夫なんでしょうが(左上画像マウスオン)。



そんなわけで最初のドライバーさんと記念写真を撮った上で出発です。宿からはまだ10-15kmくらいしか来ていないと思いますが、アルマトイ~ビシュケク間は約250kmほどありますんで先は長いぞ。もっともこの時点でまだ10:30くらいだったので時間的にはまだ余裕です。



さすが幹線道路、スピード計測のカメラもバッチリ設置されています。あとで聞いた話なのですが、カザフスタンではいわゆる覆面パトカーや移動式オービスによる速度取り締まりは違法であり、その代わりにこのような固定式のカメラが設置されているのだとか。

それはともかく、夏真っ盛りのこの時期、沿道にはスイカやメロンを売る露店があちこちに見られます。そういえばカムチャッカで「ここで売られているスイカは、カザフスタンなどの国から運ばれてきています」という話を聞いていましたっけ。



市街地を抜けて郊外に出ると、風景はもう「いかにも中央アジア!」という感じの大平原となり、人家もほとんどなくなります。ものすごく快適な道路なので、けっこうなスピードで走る車が多いです(法定速度は90km/hみたい)。しかし中にはトラックのような低速車もいたりするわけで、そうなると「速い軍団」は‥


(右上画像マウスオンで「群れで抜く」画像に変わります)。

マウスオン画像を見ても、対向車、来てますもんね(恐)。ちなみにわれらがタクシーのドライバーさんはといえば‥



やっぱり「ふっとばす系」でありまして、えぇっと、このスピードで走りながらスマホいじるの止めようよぉ。とはいえ言葉が通じないのでそれも言えずなされるがままだったのですが(苦笑)。

と、そんなドライバーさん、突如としてスピードを緩め、道路脇にあった施設に立ち寄ります。





ちなみに右上画像で向かいに座っているのがドライバーさんです(おごってくれたわけじゃないですがそもそも安かった)。しかし結構な量です。でも皆さん(子供も含めて)ごくごく飲んでるのでごくり‥ん?馬乳酒ではないなこれ、でもちょこっと炭酸味があるし不思議な味わいというわけでゴクゴクいってみると(苦手な味ではない)‥



それにしても、ラーメンの鉢くらいありますから結構な量です。

何と底には大麦だったかの粒がたくさん!(右上画像マウスオン)。この飲み物、正式名称は忘れましたが穀物(麦)を発酵させたもの。こういう感じの飲み物はここ中央アジアのデフォルトで、町中にも多く見られます。ここは大規模な感じでドライブインとして機能しているようでした。ちなみにトイレはボットン方式でしたが、これもカザフスタンやキルギスでは結構デフォルトだったりして(苦笑)。



休憩のあと再びバリバリと走り続けましたが、ここでどうやらジャンクション、ビシュケクへはここで右に曲がるようです。ここに検問所のような施設がありましたがとりあえず撮影は自粛。でもそのすぐ近くに何だかモニュメントのようなものがあるようなので車内から撮影していたら「ノーノー!」の声。あれ、これも駄目なのかなと思ったらそうではなく、そこに車で立ち寄ってくれました。



どういう意味合いで設置されたモニュメントなのかはわかりませんでしたが、おそらくユキヒョウと思われる像と、そしてユルタの最上部をイメージした円形のモニュメントの周りにはここカザフの歴史上の偉人レリーフが設置されておりましたよ。



カザフスタンもキルギスも遊牧系騎馬民族ですから、その住居であるユルタには今でもこだわりがあり(前にも書いたようにキルギスの国旗にはこのユルタの天井がデザインされています)、新しい建物にもユルタをイメージしたデザインが施されていたりします。そしてここもユルタ天井がメインに。

あ、ここは小高い場所にあるので、先ほど車内からの撮影を自粛した検問所?も一望できますね(笑)。まさかここからの撮影も駄目ということもないだろうということでパチリ。



それにしても広くて、そして何にもないエリアですなぁ。



だから風力発電プラントも、ここでは何の環境アセスメントも不要で設置されたことでしょう。地平線に向かってGO!



さてそんなわけでいよいよキルギスへの国境が近づいてきたあたりで緩やかな峠越えとなりましたが、ここでまたあやしいエンジントラブルがっ!(フォルクスワーゲン、ますます乗りたくなくなりました=もともと外車に乗りたいと思ってませんが)。登り坂でかなり頻繁なノッキング現象が発生!ドライバーさん、ギアを落として対応しますが、相当ふかさないとすぐにノッキングが始まります。

「これはもしかしたらスパークプラグが寿命なんではないかい?」と予測しました。ちゃんと火花が飛んでいなければこうなるし、もしかしたらディストリビューターかなという気もしましたが、最近の車にはそもそもディストリビューターなどという機械式のメカは搭載されていないだろうと思ったので、やっぱりプラグなんだろうなと思った次第です。ちなみになんでそんなパーツを知っているかというと、1989-1990のNZワーキングホリデー時代にその方面の不良で足止めを食ったことがあったからで(その時のページはこちら、その時のことは文字タイプのみですが、その代わり30年弱前のうら若きTakema画像が豊富です=見たい人だけね、当時24歳)。結局自分自身はメカ音痴なんで、だから「ノーメンテばんざい」派なんですよ。

それでも下り坂&平地になればノッキングもなくなり、いよいよカザフスタン/キルギスの国境に到着です(右上画像の青いアーチがカザフスタン側の国境施設)。と、ここで、ドライバーさんが、いま考えればボッタクリに間違いない「国境越え後のタクシー」についての提案をしてきたわけです。しかし基本カザフスタン語だかロシア語で話してくるので詳細はわからないんですが、断片的な重要語「タクシー」「ビシュケク」「US$」は聞き取れるので言いたいことはわかりました。しかし、それって高いよ?

実は同じタクシーでそのまま国境を越えることはなく、キルギス入国後は別のタクシーに乗り換える必要があるわけなんですが、そのタクシーを手配するのでその料金がいくらだと話していたんだと思います。しかし途中でタクシーを乗り換えたこともあり、最初の契約がどこまでこのドライバーさんに伝わっているのかもわからず、結局その言い値でキルギス側の手配も頼むことに。たぶんアルマトイ~ビシュケクトータルの相場では数十ドルくらい多く払うことになったんだと思います(相場の1.5倍)。悔しいけれど、まぁこれも一つのお勉強ということで。

国境のイミグレーション付近の画像は当然ありませんが、キルギス側のタクシー画像も撮っていなかったのにはわれながら驚きです



そんなこんなで無事お宿に到着(ここで連泊)。バックパッカー的な宿で、朝廊下に出てみると、夜遅い飛行機とかで到着したらしいお客さんが寝ていたりするのでびっくりですが(床に寝ているわけではなく、仮眠用にしつらえられた場所があります)、われわれはドミトリーではなくツインの部屋泊ですし、エアコンの効きもバッチリなので快適に過ごせそうです。というか、ここアルマトイもむちゃくちゃ暑いんです(あとで聞いたらこの数日前には最高気温が40度を超えていたとか)。

しかし、ここまで両替もせずに来てしまったので、まずは現地のお金ソムへの両替をしなければなりません。レセプション(英語OK)で両替所の場所を聞いて出かけていきましたが、なぜかその場所にはなくて困ったちゃんでしたが、途中で「日本フェスティバル」とかをやっている店舗があったので、もしや?と思って入ってみるとよし日本語が通じるではありませんか!そんなわけで場所を教えてもらい無事両替完了。



さて両替を終了して宿に戻ってきたのは16:00ということで完全にお昼ごはんを食いっぱぐれました。そんなわけで18:00、いざ夕食へと出かけます。宿にはWiFi電波が飛んでいるんですが、この時点ではまだ現地のSIMカードを手に入れていなかったので、外に出てからはキューバでも使ったGPSアプリを見ながら市内をうろうろ。



何やらスポーツ施設のあたりまで歩いてきました(右上画像マウスオンで拡大)。

しかしこのあたりに来るまでにも何軒かレストランを見かけたのですが、どういう料理を出すレストランなのか、皆目見当が付きません。まだ早い時間だったのでお客さんの姿もなく、外からだと「営業しているのかどうかすら定かではない」感じでちょっと躊躇。店先にメニューの一部でも写真付きで掲示してくれればなぁとも思いますが、これが旧ソビエト諸国のデフォルトレストランでもあります。で、さらに歩いて行くと‥





しかもこちらのお店、何とイタリアン系であることが判明!明日以降はキルギス料理が続くであろうことは明白なので(いやそれを食べに来たのでそれ自体は間違いなくウェルカムなのですよ念のため)、ここは一発イタリアご飯にすることにしました。お店のメニューにも英語表記があったのでこれなら大丈夫!えーいせっかくなのでワインも飲んじゃえとフルボトルを注文!



うんうん、ちゃんと冷えている白ワイン、美味しくいただきますよ!



何だかあまり美味しそうに撮れていませんが(残念)、マルゲリータとカルボナーラ、美味しかった♪

お会計は日本円にして約2800円。ワイン1本飲んでますからね(ワインが1700円くらいした)。このあとは来た時とは別の道で宿へと戻ります。



近くにはファストフードのお店もありましたが、ワイン飲めたしまぁいいや。野菜や果物を売る露店もあり。



途中、スーパーがあったのでビールの買い出しをしたのですが、1.5L容量、銀座ライオンのブーツジョッキをホーフツとさせるペットボトルが確か70ソムしなかったと思うのですから激安!(左上画像マウスオン)。価格的にアルコールやタバコのお値段は極端に安い国です(ちなみにこの日の両替所レートは1US$=68.5ソムだったので、日本円に換算すると1ソム=1.62円となります。われわれは1.8円くらいの感覚で換算していましたが。なお日本円の両替はほぼ不可能、US$かユーロが無難です。ま、ルーブルも問題なく両替できますが日本から来る場合現実的じゃないですね)。



夜19:00を回っていましたが、まだまだ余裕で30度以上ある中をビール手持ちで宿へと戻ります(手ぶらで来た&レジ袋もらえなかった)。途中にあった集合住宅、各戸のベランダ部分がそれぞれのお宅ごとに手が入っているのは旧ソビエト諸国共通なんですが(カナダなどでも時々目にしますが)、1戸だけ「あえて窓でベランダを覆わない、その代わりウッディなベランダに仕立てる!」ポリシーのお宅を見つけてついパチリ(右上画像マウスオン)。何だか潔いなぁ。



宿に戻ると、おしんこどんはワインの酔いが回ったのか寝てしまいました。が‥もともとがリーズナブルな宿なので部屋に冷蔵庫がありません!(共用冷蔵庫はあるのですがこの時は知らなかった)。ということは、この、「今は冷えているビールもやがては常温に?それは困る!」ということでTakema1人にて成敗にかかります(苦笑)。ハイ、成敗完了しましたがお腹タポタポです。というわけで、この日は持参した芋焼酎に手を付けることなく就寝といたしました。

はぁ、長かったなぁこのページ。翌日はビシュケク郊外の温泉とお散歩です。

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