− その1 まずは定番行動で女川から南三陸、そして東鳴子へ −



平日ど真ん中の水曜日だったため、シーパルピアも見た目はガラガラでした(食堂は満員)。

(2017/3/22-26 その1)

さて数日取れた平日休みに土日をくっつけて湯めぐり+αのお出かけです。しかし、やっぱりいろいろとあって高速の深夜割引に間に合うような出発は出来ず、何ともリッチに「正規料金」での北上となりました(くっそー)。ちなみに仙台まで上がる際にはもう東北道を使うこともないだろうなーと思いつつ常磐道を北上。あ、それよりも使わなくなったのが磐越道(浜通り−中通り区間)ともいいますが。あ、今回はおしんこどん@妻はお休みでTakema単独での行動です。

そんなわけで鹿島南相馬SAで高速を出て、目指したのは‥





わが家のお味噌はこちらの青バタ味噌なのです。甘みがあって美味しく、職場の先輩に差し上げたらうまいうまいと喜んだお勧めのお味噌(通販もやってます=こちら。でも青バタは通販では扱っていないようですが)。でもこの日はお味噌を買いに来たわけじゃありません。では何かというと‥



そう、冬季限定販売の甘酒なんです。画像には「三月上旬まで」とありますが、そこそこ期間を延長して販売されていたようです。この数日前だったか、こちらの若旦那さんがブログ「甘酒の販売もそろそろ終わりに‥」と書いていましたので、この前日にお店に電話を入れて2本取り置きをお願いしていたのです。そんなわけで無事甘酒もゲット!(右上画像マウスオン)。

お話し好きのご主人は地元団体を率いながらも力仕事に駆り出されることもあるそうで、で、お仕事中に怪我。でも云々とは大変でしたねぇ‥(詳細は秘します)。

ま、そんなわけで若松さんを辞したあとはそのままR6を北上、次に向かったのは‥



SNSで繋がっている方から「新地町の直売所のイチゴ、それも佐藤Sさんのイチゴは頭一つ抜けていると思います」としばらく前に伺っていて、それなら!というわけで買いに来たわけです。直売所はR6沿いじゃないので(すぐ近いんですが)、これはほぼ地元の方々しか来ない(知らなければ来られない)ですね。

で、目指す佐藤Sさんのイチゴはといえばすでに小玉パックしか残っていませんでしたが、別のSさんの大玉パックと合わせて何とか購入(右上画像マウスオン)。よーし甘酒と合わせてこれで某所へのおみやげが出来たぞと思いきや、実はこの時点で大ボケ小歩危をかましていたTakemaでありました(詳細はあとのページにて)。

さてここからは再び高速に乗って石巻方面へと進みます。



ずんずん北上し、仙台東部道路、三陸道経由で石巻手前の矢本PAでトイレ休憩。なぜかいつもここで休憩するのは、「さ、ここから三陸だぞ」という気持ちの切り替えか何かが自分の中にあるのかもしれません。しかしここってトイレしかないんだよなぁと思っていたら、いつのまにかトイレのお隣に有人軽食売店が出来上がっていました(右上画像マウスオン)。次回は寄ってみようかな。

今回は女川でご飯を食べるつもりなので石巻市内をパスする形で北上川沿いを進んでいきますが、川沿いの堤防はまだ土のうバッグが並べられたままで手つかずなんですね(左側画像マウスオン)。道路のぎりぎりまでが私有地ですからいろいろ事情があるのでしょう‥。





シーパルピアの二期工事完成とともに以前の場所から移転しての営業で、これまで同様海産物販売と食堂営業の二本立てです。食券&セルフ方式となっていたのはちょっと淋しい気もしますが、まぁしょうがないか。なお食後、ちょっと休憩中の従業員男性とお話をさせていただきました。以前の店舗は作業場兼倉庫としてこれからも使っていくのだとか。作業場が広くなったということは仕事環境の向上にも繋がるわけでいいことですね。



平日ということで見事に閑散としているように見えますが、これでいてそれぞれのお店にはちゃんとお客さんが入っています(おかせいさんもほぼ満席で相席状態)。観光客の立場からすると、このような復興商店街は「そこに行けば何かがある」という点で集客力があると思います(そのかわり「知る人ぞ知る」系のレアな発見はなくなりますが)。

震災前の三陸沿岸に限ったことではないですが、地方に行くとこういうコア(核)となる施設が案外ないんです。各地の道の駅はそこそこその役割を果たしているとは思いますが、軽食以外の食事処が1つしかないパターンばかりなのが不満でした。南三陸町の(旧)さんさん商店街の成功を今後の道の駅に生かしてほしいです。もちろん女川シーパルピアも、周辺施設を合わせるとお食事処はたくさんあります(でもちょっとわかりにくいかな?観光協会は待ちの姿勢ではなく外に出て積極的にマップを配布するべきだと思います)。

それにしても周辺の姿はもうすっかり変わりました。われわれが震災後女川に最初に来たのは2013のGWでしたが、2014夏の訪問と比べてみても(こちら)いまや被災した地域の痕跡はほぼ見受けられません(工事現場的なのはしょうがないことですが)。わたしは震災後不定期とはいえほぼ毎年のように女川や南三陸を訪問していますが、その変化の早さにはびっくりです。そしてその過程を見続けることができているのは少し嬉しいことです。

さて女川をあとにしてまた北上します。続いては2016/12に仮設商店街を閉鎖し、2017/3に本設の商店街として再スタートを果たした前述の南三陸さんさん商店街へ。



こちらも全然人がいない!ように見えて‥駐車場は相当埋まっておりました。商店街の規模が大きいから少なく見える‥のかも。いずれにせよお腹いっぱいですし、またTakema夫婦お気に入りの「松原食堂」さんのお店は今ここにはありません。今回は見学だけにしました。なお松原食堂さんは2017夏以降、この近隣に独立した店舗を構えて営業再開の予定です。そうしたら今度は2014夏と同じように「飲みに行きたい」と考えています。

さて、商店街入口の取り付け道路(なぜかすごく大回り)入口付近に盛り土の上に登れる展望台がありましたので馬鹿とナントカ系のTakemaは喜んで登りに行くのであります。







無事登頂を果たし来し方をふり返ります(笑)。左上画像の正面奥がさんさん商店街で、駐車場への進入路入口は国道から海側にしばらく直進した先にあり、そこから山側に戻る形になっています。何でこんな回りくどいルート取りなんだ?と思いましたが、聞けばゆくゆくは隣接地(たぶん左上画像の手前側)に道の駅が整備されるのだそうな。なるほどねぇ。でも手を広げ過ぎちゃうと大変だと思うのですが大丈夫かな?

さて話を戻しましょう。この盛り土が10mの高さだとすれば、かさ上げ10m分を合わせて20m。となると‥





防災庁舎におられて助かった人はあのアンテナ部分によじ登った人がほとんどだったということですし、要は「あの日はこの展望台の高さくらいまでの水が来た」というわけで、あらためてとてつもない津波の威力を感じずにはいられません。それにしても防災庁舎、とりあえずしばらくは残されることになってよかった。先日まではカバーが掛けられて保存対策工事が行われていたようですが、現在はそれも外されておりました。近くまで行かれるようになるまでにはまだ時間がかかりそうですが‥(以前は前まで行かれました=2014夏の訪問ページはこちら。参考までに2011夏のページはこちらから)。

でも思うのです。この防災庁舎はこれから「負のランドマーク」から「津波の恐ろしさと備えの大切さを伝える生きたランドマーク」に変わっていくはずです。真下から防災庁舎を見上げてみると「あんなに上まで水が上がったんだ」ということを実感できます。この「実感」こそが大事なんです。これはビデオや画像では代用できません。

自分は震災直後から「遺構は出来るだけ残すべき」というスタンスでした。家族親族友人を失った方々が「見たくもない」とお思いになる気持ちはもちろん理解できます(表面的な部分に過ぎませんが)。でも自分を含めいま生きているわれわれはそのうちこの世を離れるわけで、そのあとの世代に自分の思いや失ったものを伝えることはできません。だからこそあの日起こった悲惨な事実を擬似的にでも経験できる「リアルな存在」が必要なのだと思うのです。「物言わぬがゆえに心を揺さぶる語り部」として。

自分は以前防災庁舎の前に立ち、屋上部分を見上げながら「あそこまで‥」と唖然としました。その思いを多くの人々、特に東日本大震災の被害がなかった地域の方々や、当時まだ小さくてよくわかっていなかった子どもたちにも共有してほしいのです。




この橋もいずれは撤去されてしまうはずでしょうが。

「高野会館」(震災前は結婚式場ほか地域のハレの場として利用されていたようです)は、気仙沼に本社がある(株)阿部長商店の所有です。阿部長商店は町内の「南三陸ホテル観洋」(右下画像)や気仙沼の同ホテルも運営していますが、そもそもは水産物加工業を社業の中核としている会社(自分はそう理解しています)。そして津波襲来時には社長さんもヘリで救助されたというニュースも当時耳にしました。

結婚式場や様々な催事場として利用されていたこの高野会館、津波襲来時スタッフは建物の外に逃げようとするお客さんを押しとどめ上階へと避難誘導、結果として327名もの人たちがこの建物の最上部に上がり命をつなぎました(この建物における犠牲者はゼロです)。そして阿部長商店はこの建物を震災遺構として残すようです。しかも「自費」で!

もしできますならば、再整備後は高野会館屋上に歩いて上がれるようにしてほしいものです。階段を登ってその高さを足で感じ、そしてたどり着いた4F屋上部にも津波が到達していたという厳然たる事実を、訪れる人たちに体感してほしいと思うのです。



なおすでに新R45用とおぼしき橋台も完成していました。いっぽう目を海側に移せば、遠くに「南三陸ホテル観洋」が見えています。2014、われわれがこのホテルに泊まった数日前には天皇皇后両陛下がここ南三陸町をご訪問なさっていたんですよね(旧さんさん商店街ご訪問、ご宿泊はこのホテル)。また今後お越しいただける日が来るといいなぁ、そしてその時は町長さんが「あれからこんなに変わりました」と胸を張って申し上げられる日が来ることを願うばかりです。

さてここからはいつものように内陸方面に西進です。登米市、栗原市を通り抜ければ、ハイいつもの通り‥







でもですね、今回は早くも温玉を購入してお湯を上がります。じつはこの日の宿泊はこちらではないのですよ(ただしGWの予約をバッチリしてきたのはここだけのヒミツです)。ちょっとだけ移動して‥







夕ごはん前にとりあえずいろいろ入っておこうというわけでジタバタした次第です。半ひょうたんの湯は思いがけず熱めでびっくり。もちろん浸かりましたが44度くらいでしたかね。



続いては中浴場へ。この時間は大浴場が女湯の設定でしたが、いさぜん旅館さんの湯は総じて肌にやさしい感じのお湯です。清掃も行き届いていますし、「どうしてこれまで一度も入りに来なかったんだろう?」と今さらながらに不思議です。というか、じつは鳴子界隈ってまだまだ入ったところのない湯も多いんです。滝の湯はかろうじて25年くらい前に1度だけ入ってますが、早稲田桟敷湯はまだ未湯だし今のところ入る予定もなし、農民の家もまだですし。まだまだいい温泉は多いでしょうがまぁマイペースということでお許し下さい。



詳しい方はご存じの通りこちらのお宿は猛虎系です。お風呂アイテムもね(左上湯足画像マウスオン)。

さて身体を清めたあとは、定番の流れで焼肉店へと向かおうと思ったところでTELあり。すると‥





そんなわけで世の人は「テンプレ」とも呼ぶ焼肉八兆さんへ。師匠は当然お酒なしですからすみませんねぇ。



お肉に師匠注文のモツ鍋(冬期限定)おすそ分け、そして気がつけば海鮮も(注文してませんが(苦笑))。


いやはやこの日は話も盛り上がって痛飲し、気がつけばこの日入れたばかりの芋焼酎ボトルを完飲してしまうというビックリ系でありました。当然ヘロヘロになり、師匠の車による送迎(しかもコンビニ経由)がなかったらかなりきつかっただろうなと(苦笑)。ありがとうございました!



そんなわけで朝目覚めてからは大浴場の湯で目覚めよ身体!行動を起こしましたが(ただの朝湯ね)、部屋に戻って外を見てみると何だかベシャベシャの雪が降っています。まだ6時台だし急いで出ても何だかなというわけでもうひと寝入りすることに(至福)。



2時間ほど寝た上で8:30ころ起き出して中浴場へ。はー、熱めの湯がボケた身体にしみわたります!Takema復活!(笑)



そんなわけでいさぜん旅館さんをチェックアウトする頃にはすっかりお天気もよくなっておりました。で、チェックアウトというか出発時に若女将さんと初めて顔を合わせたのですが、若女将から「あの‥Takemaさんですか?」と声を掛けられたのにはちょっとビックリしました(大笑)。続いて「このあとは駒の湯さんに行かれるのですか?」と、まぁみごとにわたくしの行程をお読みになっておられました(笑)。

あとで駒の湯さん側から聞いた話によると、こちらの若女将さんも駒の湯さんご夫妻と仲良くなさっておられるのだそうな。で、駒の湯の奥さんいわく「鳴子界隈に泊まられるのであれば、一度はいさぜんさんにも泊まってほしいと思っていたんですよ」とのこと。図らずも言われる前に宿泊してしまいましたし(笑)、また今後もお世話になりたい宿の1つとなりましたのでご安心下さい。

ではではと出発したのは9:30少し前。この日の目的地は前述の駒の湯温泉なのですが、寄り道をしていくとの事前連絡をしております。ではでは寄り道開始!(たいしたものではありませんが)。以下次ページにて。

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