[もくじページに戻る] 【その6 南三陸から気仙沼へ。高いところに登りたがります。】 安波山頂上(238m)から気仙沼の市街地を見下ろします。 |
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【2021年3月22日~27日 その6】 |
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と声を掛けてくれたのでガバっと飛び起きました。 |
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というわけで、しっかり部屋から日の出を拝むことができました。ヤッタネ♪ |
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とはいえまだ朝食にも早い時間ですし、日の出入浴の方々が戻り始める頃を狙ってお風呂に行くことに。われわれの宿泊は南館なので、お風呂まではそこそこ長く歩かなくてはならないわけですが‥ん?んんん? |
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チェックイン時にこの南館大浴場には入れないということは聞いていましたし、前日は確かに「メンテ中」との掲示とともに暖簾も下ろされていたわけです。まさか、何の予告もなく今朝は開いているとは!というわけでソッコーで脱衣場に入ってびっくり。 |
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このあとはビュッフェ形式の朝ごはん。広い会場なのですが、テーブル上には透明ビニールが張り巡らされており「コロナ禍中での営業」なのだということを強く感じさせられます(仕方がないのですが)。 |
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(ま、無料ですが)。 |
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おっとその前に、「南三陸さんさん商店街」駐車場に車を駐めます。「中橋を渡って復興祈念公園を訪問したい」のと、このあと向かう栗駒の駒の湯温泉のご夫妻に「スイーツの手土産を」というわけです。まずは復興祈念公園へ。 |
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(上画像は渡ったあとに撮影したものですスミマセン)。 上下それぞれに通路が設けられた変わった造りです(どういう意味が?)。 八幡川はガチガチのコンクリ護岸。橋からは松原さんの建物もよく見えました。 |
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橋を渡るとすぐ下流側に旧防災対策庁舎が保存されています。この屋上よりもさらに上部まで津波が押し寄せました。その津波の高さに合わせて公園内の「祈りの丘」がしつらえられています(後述)。 |
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2014当時の防災庁舎。周囲ではまだかさ上げも始まっていません。 |
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さて記念公園内を緩やかに上っていきます。少し高度を上げたからか、中橋の構造がよく見えてきました。さらに上っていくと‥ |
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丘の中腹に「復興祈念のテラス」がしつらえられていました。防災庁舎と、高野会館(ホテル観洋と同じ(株)阿部長が経営していた結婚式場・宴会場)とが見通せます。もう海からはそこそこの高さがあるように見えますが、かの津波はこの高さのはるか上を越えて内陸へと向かったわけです。 |
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そして「祈りの丘」頂上部へ。かなり小広く、万が一津波が押し寄せてきた時に逃げる時間がない場合の「緊急避難場所」としての想定もあるかも知れません(この付近の公式な避難場所は高台の志津川高等学校ですが、そこに行くには低い場所を通らざるを得ないので)。この丘の標高はおそらく16.5m。志津川地区を襲った津波と同じ高さのはずです。 |
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と、左上画像に見えているのは「旧志津川駅」でしょう。ホームの石垣と、そして駅入口であろう部分はわかるのですが、ホーム上の4つの四角いコンクリートは何? |
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この後は再び中橋を戻ってさんさん商店街へ。一部の声として(笑)「女川駅前があんなふうにお洒落に生まれ変わったのに比べて、さんさん商店街は何だか長屋みたいで云々」と伺いました。でもこれってかつての仮設時代のコンセプト、つまり「どこのお店を利用するかは関係なくみんなで集まってワイワイするスペース」を重視したんじゃないですかねぇ隈研吾さんは。 |
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ああ、まだ断髪式前の荒磯親方(横綱稀勢の里)も来ていたんですね。断髪式は2019/9末ということで問題なく終わったのでしょうが、2020年以降に引退した上位力士はなかなか大変そうです。そもそも式を開けないし、式の場での「最後のご祝儀」も受け取れないわけですし(親方としていろいろ物入りも出てくるでしょうし)。 |
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さてこのあとは三陸道に乗って一気に気仙沼を目指します。片側1車線ゆえ急いで走っても「大名行列の末端臣下」になるのが関の山ゆえゆっくりと進みますが、それでも「臣下」になっちゃうんですよねぇ(苦笑)。 |
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さて昨年2020にはここから「開通したばかりの」気仙沼大島大橋を渡って大島に渡ったわけですが(その時のページはこちら)、もちろん今回は別のところを目指します。ナントカと煙は高いところを目指すという慣用句の通りに。 |
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直角おばさんの脇をおじゃましつつ細めの道を上っていきます。 |
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すると、駐車場のすぐ脇からはこのような(段差が小さすぎて歩きにくそうな)階段が!しかも両サイドには狛犬ならぬ「狛竜」ですよねこれは(しかも右上の竜は大口開けてますよ)。ここが安波山への「登山口」です。 |
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さて出発です。ええっと、おしんこどんは早くも上着を脱いでます(笑)。 展望がよくなってくるとともに斜度も急になってきます(ま、ごく一部ですが)。 |
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途中には展望台が2ヶ所ありました。下の展望台は再整備が行われてから年が浅いらしくきれいなものでした。屋根付きの休憩所付きで、ここにはトイレもありました。なお、右上画像の休憩所の屋根を目にした時に「おお、ハウスタンバランだ!」と連想してしまったのはここだけのヒミツです。え、ハウスタンバランって?とお思いの方が圧倒的大多数だと思いますので画像を載せておきます。 |
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はい、ハウスタンバランとはパプアニューギニアの内陸域に存在する宗教的な施設なのであります。このリーゼント的なせり出し屋根が特徴的ですよね。なおこの村に通じる道路は存在せず(2003年当時はそうでしたがまず間違いなく現在も同様だろうと思います)、ボートをチャーターしてセピック川を遡るよりほかに訪問手段はありません。それにしても今から18年前のわれわれはなかなかワイルドな旅をしていましたねぇ(笑)。なおこの時のページはこちらです。 |
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八合目から鹿折方面を望みます。こちらの展望台は一部老朽化のため立ち入り禁止です。 カメラを向けるとおどけるおしんこどん。さぁて、最後の登りです。 |
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と、ここで上画像左下の丘の上に何か白いモニュメントが見えているのがわかるでしょうか?あちらは「気仙沼復興祈念公園」。2021年3月11日に開園したばかりで、この時はまだ開園して2週間ほどでした。この後行ってみることに。さてその他はというと‥ |
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ん?気仙沼大島に渡るフェリーの発着所だった埠頭に何やらフェリーらしき船が?大島大橋開通とともに確かフェリーの運航は終了したはずなのに?と思って調べてみると、フェリー運航会社だった(株)大島汽船は観光船事業に特化して現在も存続しているようなのです。ただそもそも冬期は運航していないようですし、春から秋シーズンもGWやお盆時期以外は週末中心の運航、さらにはこのコロナ禍ですから‥会社としては踏んだり蹴ったりでしょう。何とか踏ん張ってほしいものです。 |
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ただ、このページをタイプしているのは2021年4月22日なんです。もし「新コース」の詳細が決定しているのであれば、一刻も早く情報を公開したほうがいいのになとも思います。もうGWまで1週間しかないのですから! |
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しかしそれでも思うところはもちろんあります。市街地をじっと見つめるおしんこどん。 |
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山頂には山頂標高を記した石塔がありましたが、これがなぜか本当の最高地点ではなく少し奥に下ったところ、しかもわざわざ選んだかのように「展望の悪い」場所に設置されているのは謎です。ほぼ最高地点には「世界地図をモチーフにイメージ化」したモニュメント、そこにタイルをあしらっておりなかなかです。 |
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これ、最初に目にした時は「何だかちびっこいモニュメントがあるなぁ」としか思わなかったのですが、よくよく台座の記載事項を見てみると‥(右上画像マウスオーバー)。 |
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というわけで下ってきました。植樹された梅の花が咲き始めていましたね。あ、やっぱり熊はいるんだ‥。そんなわけで続いて復興祈念公園へ。 |
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駐車場付近から鹿折地区方面を見下ろします。左上画像手前中央の家屋は古びてはいますが津波による被害はなかったのかと存じます。そしてその奥の平地には災害復興住宅が建ち並んでいます。ただ、復興住宅が建ち並んでいるということは、あのエリアには「かつて別の住宅が建ち並んでいた」ということでもあるのです。 |
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頂上部には、まず手前に「津波被災当により亡くなられた方々の氏名」を記した碑が設置されていました。碑はそれぞれの地域に向かう形で設置されています。つまり碑の設置数が多い方角ではそれだけ酷いことが起こったのだということなのです。開園後間もないこともあり、平日にもかかわらず訪問者は多く、「ああ、○○さんもここにいるね」等のお言葉も耳にはしましたが詳しくは書きません。 |
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左上の像のタイトルは「よかったね」。何を意味するかはいうまでもないでしょう。右上画像は‥「ごめんね」なのです。もっとも部外者である自分があれこれ申し上げるつもりもその資格もありません。わかるのは、ここから見える場所では本当にさまざまなことが起こったのであろうということ。そのことに思いを馳せるばかりです。そしてその上で、もっとも大きな彫刻である‥ |
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安波山からもよく見えたモニュメント。「祈りの帆(セイル)」と名付けられています。 内部に入ることもできます。気仙沼湾に向けて帆を上げているということでしょう。 |
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そうこうしているうちに、すでに13:00を回っていることに気づきました。まだ海沿いを進むのですが、このままだと「お昼ごはん難民」となってしまいそう(よくある)。というわけで気仙沼にいる間にお蕎麦でも食べようっと。この続きは次ページにて。 |
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