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【その6 南三陸から気仙沼へ。高いところに登りたがります。】



安波山頂上(238m)から気仙沼の市街地を見下ろします。

【2021年3月22日~27日 その6】

明けて翌朝です。南三陸 ホテル観洋宿泊の売りの1つに「太平洋から昇る日の出」があり、その時間の露天風呂などはかなり混むようなのですが、Takemaは前夜たくさん食べたからか朝になっても眠くてたまらず、「ふとんの国の王様」と化していたわけです。しかし先に起き出したおしんこどんが、



と声を掛けてくれたのでガバっと飛び起きました。







というわけで、しっかり部屋から日の出を拝むことができました。ヤッタネ♪

とはいえまだ朝食にも早い時間ですし、日の出入浴の方々が戻り始める頃を狙ってお風呂に行くことに。われわれの宿泊は南館なので、お風呂まではそこそこ長く歩かなくてはならないわけですが‥ん?んんん?





チェックイン時にこの南館大浴場には入れないということは聞いていましたし、前日は確かに「メンテ中」との掲示とともに暖簾も下ろされていたわけです。まさか、何の予告もなく今朝は開いているとは!というわけでソッコーで脱衣場に入ってびっくり。

誰もいません。しかも浴室に入ってみると、タイルなども完全に乾いていて(加温循環ゆえオーバーフローはありません)、これは間違いなく「自分がこの大浴場最初の湯客」!特に消毒臭も感じられません。加水量が多いのか「ナトリウム・カルシウムー塩化物泉 低張性中性低温泉」という湯の素性はほぼ感じられませんでしたが、今回の宿泊は温泉が目的でもないので特に気にしませんしね。なお撮禁なのでお風呂画像はありません。

それにしても、東館のほうが大きくて新しく露天風呂もありということからか、公式サイトでもこの南館大浴場については文字情報だけで、写真1枚すら掲載されていません。何だか不憫な気もします。



このあとはビュッフェ形式の朝ごはん。広い会場なのですが、テーブル上には透明ビニールが張り巡らされており「コロナ禍中での営業」なのだということを強く感じさせられます(仕方がないのですが)。

この日は移動距離がさして長くないこともありゆっくりの出発なのですが(今回は語り部バスや志津川湾観光船は利用しませんし)、朝食後もうひとっ風呂と思ったら、すでに清掃に入っていてちょっとがっくし。8:00から清掃に入るってちょっと早くないですかねぇ(せめてあと30分遅らせてほしい!)。

まぁしょうがない、そんなわけで出発です。ここから気仙沼まで、海沿いのR45は震災後の2011夏以降何度も走っていますし(まだ自衛隊設営の仮橋&未舗装の迂回路を片側交互通行だった頃から@その時のページはこちら)、何といってもこの数週間前の2021/3/6に三陸道の「気仙沼湾横断橋」が開通したことから、


(ま、無料ですが)。

おっとその前に、「南三陸さんさん商店街」駐車場に車を駐めます。「中橋を渡って復興祈念公園を訪問したい」のと、このあと向かう栗駒の駒の湯温泉のご夫妻に「スイーツの手土産を」というわけです。まずは復興祈念公園へ。




(上画像は渡ったあとに撮影したものですスミマセン)。



上下それぞれに通路が設けられた変わった造りです(どういう意味が?)。



八幡川はガチガチのコンクリ護岸。橋からは松原さんの建物もよく見えました。



橋を渡るとすぐ下流側に旧防災対策庁舎が保存されています。この屋上よりもさらに上部まで津波が押し寄せました。その津波の高さに合わせて公園内の「祈りの丘」がしつらえられています(後述)。

しかし、旧正面入口を俯瞰する形で見る日が来るとはなぁ。現在は周辺がかさ上げされていますが、2014年訪問時には全体の地面が1Fの高さだったわけですから(その時のページはこちら)。

なお、防災庁舎の隣には旧本庁舎が建てられていたそうで、コンクリートの基礎だけが残されていましたが、旧庁舎の間取り図を見ながら‥ん?一定距離ごとにコンクリートに穴が?「なるほど、あそこがトイレだったんだ」と、図と現物との同定に成功しました(笑)。



2014当時の防災庁舎。周囲ではまだかさ上げも始まっていません



さて記念公園内を緩やかに上っていきます。少し高度を上げたからか、中橋の構造がよく見えてきました。さらに上っていくと‥



丘の中腹に「復興祈念のテラス」がしつらえられていました。防災庁舎と、高野会館(ホテル観洋と同じ(株)阿部長が経営していた結婚式場・宴会場)とが見通せます。もう海からはそこそこの高さがあるように見えますが、かの津波はこの高さのはるか上を越えて内陸へと向かったわけです。

今でこそこの位置から高野会館が直接見られますが(俯瞰角度はともかくとして)、津波被災前はこの位置から高野会館を目にすることは不可能でした。高野会館の前をR45が走り、国道の向かい(つまり手前側)には横に長く「公立志津川病院」があったのです。4階建てと5階建ての建物が渡り廊下でつながっていました。そしてここでは悲しい出来事が起きたのです(もう以前から書いていますから今回は省略しますが)。

右上画像、高野会館の左側にはスーパー「サンポート」があったんだっけ。とはいえわたしが初めて見たのは「津波に打ち破られた後の姿」でありましたが。10年も前に通過しただけなのに、妙にその姿が網膜に焼き付いています。



そして「祈りの丘」頂上部へ。かなり小広く、万が一津波が押し寄せてきた時に逃げる時間がない場合の「緊急避難場所」としての想定もあるかも知れません(この付近の公式な避難場所は高台の志津川高等学校ですが、そこに行くには低い場所を通らざるを得ないので)。この丘の標高はおそらく16.5m。志津川地区を襲った津波と同じ高さのはずです。



と、左上画像に見えているのは「旧志津川駅」でしょう。ホームの石垣と、そして駅入口であろう部分はわかるのですが、ホーム上の4つの四角いコンクリートは何?

拡大してみてわかりました。これはホーム下通路からホームに上がる階段設備(の上部部分)だったのです。そして、コンクリートガードの周囲に設置されていたはずのステンレスパイプがあちこちでひしゃげたりなくなっていたりするのがわかります。奥のホームは土台ごと津波にもっていかれて、ホームに隠れていたはずの地下階段通路の地中構造物が丸見えになっているわけです。

あらためて調べてみると、震災前はこの地下通路の手前に平屋の駅舎があり、改札を通り抜けて屋根掛けのある通路を通ってホーム下通路に移動するという構造だったようです。しかし周辺の土地より地下通路のほうが明らかに低いようですから、駅ホームの盛り土周辺も少しかさ上げされたのでしょう。

そして駅の西側部分もかさ上げの真っ最中のようですが、その向こうには現役の田畑とおぼしき平地が見えていますし、このあたりをどうしていくつもりなんだろう?やっぱり駅ホーム周辺に行っておくんだったと今となって後悔。たぶん旧駅施設は保存対象とはなっていないでしょうから‥。



この後は再び中橋を戻ってさんさん商店街へ。一部の声として(笑)「女川駅前があんなふうにお洒落に生まれ変わったのに比べて、さんさん商店街は何だか長屋みたいで云々」と伺いました。でもこれってかつての仮設時代のコンセプト、つまり「どこのお店を利用するかは関係なくみんなで集まってワイワイするスペース」を重視したんじゃないですかねぇ隈研吾さんは。

仮設時代のさんさん商店街には中央に多目的スペースとしてのテントが設置され、イベントのみならず週末は飲食店に入りきれないお客さん(当時のお店の席数は限られていたので)の飲食スペースとしても利用されていました。もちろん混んでいなければ休憩所としての利用も問題なく可能なほっこりスペース。ここもその延長だと思います。「ただのフードコートじゃないか」というなかれ、今やお座敷までありますぞ(笑 ただ全席背もたれなし&やや段差が高く見えるので年配者にはちょっとキツイかも)。



ああ、まだ断髪式前の荒磯親方(横綱稀勢の里)も来ていたんですね。断髪式は2019/9末ということで問題なく終わったのでしょうが、2020年以降に引退した上位力士はなかなか大変そうです。そもそも式を開けないし、式の場での「最後のご祝儀」も受け取れないわけですし(親方としていろいろ物入りも出てくるでしょうし)。

またタニマチ界隈としてもこのあと仮に「一気にコロナが収束したとしても、『一気に断髪式がバンバン行われたら』手持ちが尽きる」ことでしょう。そもそもタニマチ界隈の懐もコロナ禍で相当さびしくなっていることでしょうし。

思い切り話がそれました(すみません)。このあとのさんさん商店街での買い物は「YUSHINDO(雄新堂)さん」にて。商店街にはいくつかのスイーツ販売店がありますが、いかんせん時間が早いとやっていないんですよね。こちらは9時からフルラインアップというわけで(さんさん公式サイトによれば極早朝から製作なさっているそうです)、ショーケースにはケーキがたくさん並べられており、駒の湯ご夫妻にぜひ手土産としたいところですが(保冷箱は持参しています)、まだこの後ワインディング路を進むわけで、念のため「崩れにくい」系のケーキと、後は日保ちのするいろいろ(豆大福も)を購入しました。写真を撮っていなかったのが残念。



さてこのあとは三陸道に乗って一気に気仙沼を目指します。片側1車線ゆえ急いで走っても「大名行列の末端臣下」になるのが関の山ゆえゆっくりと進みますが、それでも「臣下」になっちゃうんですよねぇ(苦笑)。

でも信号もなく山を突っ切って真っ直ぐ進んでいくのですからR45経由とは比べものにならないペースで北上していかれます。震災前、R45しかなかった頃は「湾奥の集落-リアスの山を上る-峠をワインディングかトンネルで越える-次の湾奥の集落-以下繰り返す」という印象でした。もっとももうかつてのR45すら当時のとおりに走ることはできないほど変わっていますが(被災地区間は全部道路改良されているわけです)。

さてかつての出口&この先未開通区間だった気仙沼湾横断橋です。今後は「あってあたりまえ」の橋となるわけですが、この同じ月(2021/3/6)に開通したばかりということもあり、ついつい動画を撮りました。地元の人にとっては何の変哲もないものですが。




さて昨年2020にはここから「開通したばかりの」気仙沼大島大橋を渡って大島に渡ったわけですが(その時のページはこちら)、もちろん今回は別のところを目指します。ナントカと煙は高いところを目指すという慣用句の通りに。



直角おばさんの脇をおじゃましつつ細めの道を上っていきます。



すると、駐車場のすぐ脇からはこのような(段差が小さすぎて歩きにくそうな)階段が!しかも両サイドには狛犬ならぬ「狛竜」ですよねこれは(しかも右上の竜は大口開けてますよ)。ここが安波山への「登山口」です。

ただここには狛竜こそあれ鳥居@神域の境界がありませんでした。確かに頂上直下には小さな神社がありましたが、その参道としては立派すぎますし、おそらくは山頂公園の入口モニュメントなのでしょう。なかなかに味わいがあります。

さてそれでは「登山」開始といたしましょう。とはいえ車で来られるこのエントランスが標高約130m、頂上は238mということですから標高差は推して知るべし。15分くらいで頂上まで登ることができます。飲みかけの500mLペットボトルしか持っていきませんでした。ただしこの日は3月下旬にしてはかなり暖かくて風もなく、登る途中は暑いくらいだったんですけれどね。



さて出発です。ええっと、おしんこどんは早くも上着を脱いでます(笑)。



展望がよくなってくるとともに斜度も急になってきます(ま、ごく一部ですが)。



途中には展望台が2ヶ所ありました。下の展望台は再整備が行われてから年が浅いらしくきれいなものでした。屋根付きの休憩所付きで、ここにはトイレもありました。なお、右上画像の休憩所の屋根を目にした時に「おお、ハウスタンバランだ!」と連想してしまったのはここだけのヒミツです。え、ハウスタンバランって?とお思いの方が圧倒的大多数だと思いますので画像を載せておきます。



はい、ハウスタンバランとはパプアニューギニアの内陸域に存在する宗教的な施設なのであります。このリーゼント的なせり出し屋根が特徴的ですよね。なおこの村に通じる道路は存在せず(2003年当時はそうでしたがまず間違いなく現在も同様だろうと思います)、ボートをチャーターしてセピック川を遡るよりほかに訪問手段はありません。それにしても今から18年前のわれわれはなかなかワイルドな旅をしていましたねぇ(笑)。なおこの時のページはこちらです。



八合目から鹿折方面を望みます。こちらの展望台は一部老朽化のため立ち入り禁止です。



カメラを向けるとおどけるおしんこどん。さぁて、最後の登りです。









と、ここで上画像左下の丘の上に何か白いモニュメントが見えているのがわかるでしょうか?あちらは「気仙沼復興祈念公園」。2021年3月11日に開園したばかりで、この時はまだ開園して2週間ほどでした。この後行ってみることに。さてその他はというと‥



ん?気仙沼大島に渡るフェリーの発着所だった埠頭に何やらフェリーらしき船が?大島大橋開通とともに確かフェリーの運航は終了したはずなのに?と思って調べてみると、フェリー運航会社だった(株)大島汽船は観光船事業に特化して現在も存続しているようなのです。ただそもそも冬期は運航していないようですし、春から秋シーズンもGWやお盆時期以外は週末中心の運航、さらにはこのコロナ禍ですから‥会社としては踏んだり蹴ったりでしょう。何とか踏ん張ってほしいものです。

ちなみに「気仙沼大島ぐるりと1周航路」ってできないものなのかな?大橋が開通したことで大島を訪問する圧倒的多数が車での入島になっているでしょうし、たとえば「気仙沼-浦の浜-(大島一周)-浦の浜-気仙沼」というようなルートでの運航をしていたら‥はい、間違いなくわたしは乗りますよ。もっとも船会社さんも何やらお考えのようですが(2021年度)。

ただ、このページをタイプしているのは2021年4月22日なんです。もし「新コース」の詳細が決定しているのであれば、一刻も早く情報を公開したほうがいいのになとも思います。もうGWまで1週間しかないのですから!

そして右上画像。画像の左端に見えているのが魚市場です。ということで何を撮りたかったのか、拙サイト閲覧古参の方々はおわかりになるかも知れません。そう、「この画像のエリアのどこかにかつて『気仙沼ホテル&ゑびす振舞』があった」というわけです。東日本大震災の半年前、われわれはあそこに泊まり、海の幸に舌鼓を打ったわけです(その時のページはこちら)。

お宿の関係者は全員無事だったということでしたが、再建は成らず。併設の「ゑびす振舞」の建物は流されずに残り、しばらくかの場所にあり続けていたわけですがそれも今は昔。もうあの場所がどこだったかを確認しにいくこともないでしょう。震災から10年が過ぎ、もう当時の皆さんはそれぞれの場所で新たに「今を生きて」いらっしゃるはずであり、被災者になったこともないわれわれがノスタルジーの対象として現地を目指すのは失礼なことにもあたるかと。



しかしそれでも思うところはもちろんあります。市街地をじっと見つめるおしんこどん。






山頂には山頂標高を記した石塔がありましたが、これがなぜか本当の最高地点ではなく少し奥に下ったところ、しかもわざわざ選んだかのように「展望の悪い」場所に設置されているのは謎です。ほぼ最高地点には「世界地図をモチーフにイメージ化」したモニュメント、そこにタイルをあしらっておりなかなかです。

この公園内にはこのようなタイルを用いた構造物があちこちに見受けられたわけですが、これは「震災前から設置されていた」ものですよね?まさか津波被災後のものではないですよね?(そうなると材料の出自を考えて暗くならざるを得ません)。

いっぽうで、「これはもう別の場所で保管保存しましょうよ」というものもありました。



これ、最初に目にした時は「何だかちびっこいモニュメントがあるなぁ」としか思わなかったのですが、よくよく台座の記載事項を見てみると‥(右上画像マウスオーバー)。





というわけで下ってきました。植樹された梅の花が咲き始めていましたね。あ、やっぱり熊はいるんだ‥。そんなわけで続いて復興祈念公園へ。



駐車場付近から鹿折地区方面を見下ろします。左上画像手前中央の家屋は古びてはいますが津波による被害はなかったのかと存じます。そしてその奥の平地には災害復興住宅が建ち並んでいます。ただ、復興住宅が建ち並んでいるということは、あのエリアには「かつて別の住宅が建ち並んでいた」ということでもあるのです。

鹿折地区は3.3-5.5mのかさ上げが行われたようです(ソースはこちら)。その上で中層の復興住宅をということになったようなのですが、南三陸町や陸前高田市のように「津波でやられたエリアは居住禁止(商工業活動は可能)」とはしていないのが気にかかるところではあります。人口や利用可能地の違いがあるのだと思いますが。ある意味現実的、そしてある意味未来への不安をも抱かせつつの気仙沼行政というべきなのかもしれません。

そして右上画像が祈念公園モニュメントへの上り坂です。高齢者や障がい者関係車両は丘の下の駐車場まで上がれますが、その区分に関する説明がないのはどうなのかな(たぶん今後どこかに記載されることでしょう)。ただ、車いす対応施設でないことは場所柄仕方がないことです(頂上部に上がる最後は階段のみ@右上画像に見えています)。



頂上部には、まず手前に「津波被災当により亡くなられた方々の氏名」を記した碑が設置されていました。碑はそれぞれの地域に向かう形で設置されています。つまり碑の設置数が多い方角ではそれだけ酷いことが起こったのだということなのです。開園後間もないこともあり、平日にもかかわらず訪問者は多く、「ああ、○○さんもここにいるね」等のお言葉も耳にはしましたが詳しくは書きません。

丘の上から眺めると、被災後しばらくは立ち入り禁止となっていたエリアにも建物が並び始めていることがわかります。第18共徳丸は確かあのあたりに打ち上げられていたんだよなぁ(旧鹿折唐桑駅近く)。

ところで、頂上部には津波被災をテーマにした彫刻像が設置されています。それぞれにはタイトルが付けられているわけですが、



左上の像のタイトルは「よかったね」。何を意味するかはいうまでもないでしょう。右上画像は‥「ごめんね」なのです。もっとも部外者である自分があれこれ申し上げるつもりもその資格もありません。わかるのは、ここから見える場所では本当にさまざまなことが起こったのであろうということ。そのことに思いを馳せるばかりです。そしてその上で、もっとも大きな彫刻である‥







安波山からもよく見えたモニュメント。「祈りの帆(セイル)」と名付けられています。



内部に入ることもできます。気仙沼湾に向けて帆を上げているということでしょう。

そうこうしているうちに、すでに13:00を回っていることに気づきました。まだ海沿いを進むのですが、このままだと「お昼ごはん難民」となってしまいそう(よくある)。というわけで気仙沼にいる間にお蕎麦でも食べようっと。この続きは次ページにて。

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