その2 千葉から出発、お昼ごはんは南三陸にて われわれのGW初日、いわき市北部まで上がってきたところで朝日が。 |
(2022年5月1日-6日 その2) |
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しかしですね、実際のところ車はバリバリに少なくて拍子抜け。たぶん翌5/2が平日であることが大きな要因だと思うのですが、とにかく空いていました!この日はお昼ごはんを南三陸でという予定だったのですが、そもそも途中の混雑を見越し、また途中での仮眠タイムも考慮すれば時間的にちょうどいいかなという計画でした。 |
ほぼ各駅停車で休憩したわけです(時間が余りすぎ)。 |
それにしても、常磐道周辺の放射線量値もずいぶん下がりましたね。今回は「0.1-1.9μSv/h」という電光掲示が出ていましたが、確か開通直後に走った時の最大値は「7.9μSv/h」だったように記憶しています。開通前には除染作業も行ったはずですが、開通後はそれも難しいはずであり、つまりは自然減衰が予想以上に進んでいるということなんでしょうか。 |
あにゃまぁ全然車がいない‥というわけで南相馬鹿島SAへ。 |
「各駅(SA&PA)停車」とはいえ、ならはPAから南相馬鹿島SAまでは50kmちょいあるんですけれどね。こちらの南相馬鹿島SA(ちなみに「みなみそうま かしま」です。よい子の皆さんは変なところで区切って読まないようにね)は常磐道北部最大の規模を誇る関係で駐車場もそこそこ埋まっており、売店もレストランもあるのですがさすがにまだ朝6時ですから‥ん?そういえば唯一たこ焼き屋が絶賛営業中でした。ただ見ている限り売れているようには見えませんでしたが‥(朝食がたこ焼きというのもねぇ)。 |
というわけで、名取ICで高速を下り(深夜割引はここまでで終了)、いざ閖上(ゆりあげ)港朝市会場へと向かいます!うっはぁよく思いだしたわ!しかも閖上港エリアには震災からの再整備後少なくとも2回行きましたが、1度目は平日だったので閑散(メイプル館を見学しただけ)、2度目は日曜日ではありましたがお昼頃の到着だったので「各店とも絶賛閉店作業中」だったのです。 |
海沿いの朝市ですが、旬の野菜もしっかり販売されています。 もちろんワカメやかまぼこなどの海産品やホッキめしなどのお弁当も。 さらにはお菓子の安売りも。賞味期限が近いから安いのかな? |
ちなみに右上画像のポテトチップス、3個で300円と格安で、売り子のオジサンに勧められるままに購入。で、この旅行から帰ってきておしんこどんが職場に持っていき、そこでよくよく表示を見てみたら‥ |
あれまぁ、エストニアからどういう経緯でここ閖上にまでやってきたのやらとちょっとびっくり。ちなみに賞味期限は2022/5でした(今月いっぱい)。だから安かったのか。でもまだ1袋あるんだよなぁ(笑)。 |
もちろん海のモノもあれば、なぜか水餃子のお店には行列が。 |
さてしかしこれ(水餃子)はいいですぞ、この日のお昼は1年ちょいぶりに南三陸の松原食堂さん(あ、今は「食事処 松原」さんか)におじゃまするつもりなので、「朝食は軽く」というつもりだったのです。他にもテイクアウトでほっきめしなども売られていましたが(ちょっと心動いた)、それはそれとしてこちらの水餃子、 |
というわけで列に並びました。「餃子王」さんです。隣に「豊華」さんもありましたが、微妙に列が長かったのでパス。そもそも同じ水餃子の店が2軒並んでいてどちらも盛業中ということは「どっちも負けず劣らず旨い」ということでしょうし。 |
シェアすることで1人4個の水餃子にキムチとゆで卵、朝ごはんとしては十分です(少食夫婦)。アツアツをハフハフといただきましたよん♪ |
腰を据えて海鮮BBQという手もありましたが(笑)。 |
それにしても閖上もすっかり復興し、毎日営業のメイプル館もすっかり馴染んだ感じです。津波被災直後に訪問することはなかった閖上ですが、メイプル館が建った頃の訪問では住宅街の街並みに何だか違和感があったものなぁ。 |
こちらにも何度か訪問してきましたが、ずいぶん緑が濃くなった気がします。2011年の津波襲来時にはこの山というか丘のさらに上まで津波が通り抜けたといいます。そりゃ閖上地区が全損するわけだ‥。 |
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神社で手を合わせ(だいぶ古びた味が出てきましたね)、ふと最初の訪問時にはなかった気がするヤマザクラが気になりました(「なかった」というのは勘違い)。看板を見ると「2012年5月の植樹」であることがわかり、10年経つとここまで大きくなるのだなぁとしみじみ。 |
こちらは2016/3の画像です。ヤマザクラ、囲われていますがホントに小さい‥。 |
自分はここ10年でどれほど大きくなれたのか?と自戒する次第です(苦笑)。 |
さてこのあとは再び常磐道-仙台東部道路-三陸道と進みます。ただしまだまだ時間的に早いので石巻に立ち寄ることに。いつもついつい行っちゃうのが日和山公園と神社なんですよね(本日2つ目の日和山!) |
石巻の海を見下ろすことができる日和山(標高56m)の海側正面には鹿島御児神社の鳥居が。1935年に建てられたという旧鳥居は2011年の東日本大震災でも倒壊することはありませんでしたが、やはりダメージはあったようで予防的措置として2021年に建て替えられました。自分も新鳥居を見るのは今回が初めて。で、まずは神社にお詣りです。 |
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手水舎からは柄杓が消え、パイプから流れる水を利用する方式になっていました。これもコロナ禍の影響からなのですが、コロナ前の「当たり前」がいろいろ「別の当たり前」に変わりつつあるように感じます。旅行絡みでいえば「別室での夕食中、部屋に布団を敷きに来る」が「到着時にはすでに布団が敷かれている」という変化は大歓迎なのですが、それ以外にも実にいろいろと変わっていますよね。皆さんの職場や学校などでもおそらくそうでしょう。 |
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あらためて日和山の丘から旧北上川河口側を見てみると‥おお、昨年(2021年3月)にはまだ工事中だった「石巻かわみなと大橋」が開通しているではないですか! |
昨年はまだこんな感じでしたからね(この時のページはこちら)。 |
ところでここ日和山公園に上がる道は案外わかりにくく、看板はあるにせよ道路幅も細いし、特に仙台方面から来ると右左折も多くて案外わかりにくいのですが(ナビで設定すれば楽勝)、自分は「いつもの道」で上がってきました。少なくとも軽自動車には往路であまりお勧めできないこの道ですが、なぜお勧めしないかというと‥ |
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もちろん昨今の軽自動車なら登れないことはないでしょうが、でもエンジンを相当唸らせることにはなりそうです。 |
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荒れ果てた外観ではありますが震災(津波)遺構なのでそれは仕方がないことです。この学校は津波被災とともに火災にも襲われて校舎の東側は燃えてしまったそうが、同じ石巻市内の大川小学校とは異なり、この学校にいた児童(津波襲来前に保護者が迎えに来て、そのあと津波に巻き込まれた児童は除く)及び避難してきた地元住民は全員日和山側に避難し無事でした。 |
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車寄せまで設置された立派なエントランス部からは、ここがかつての石巻市を代表する小学校の1つだったことがうかがえます。エントランス正面には円形の縁取り内に「門小」とデザインされた金属製の校章が。これ、よく津波の浮遊物に壊されませんでしたね(この高さからすると完全に水に沈んだはずなのに)。 |
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ここで何が起きたかを知らない人のための震災遺構施設も新たに造られました(今回は入館しませんでした)。自分が震災後初めて石巻を訪問したのは2011/8で、その時この門脇地区は手つかずとはいわないものの、旧北上川沿いにはまだ打ち上げられた船が残り、津波当初に孤立した(現在は解体)鉄筋コンクリート造5-6階建ての石巻市民病院が窓に「感謝」という貼り紙を掲示している時期でした(この時です)。 |
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ええっと、もちろん新しい橋ですから快適な通過だったわけですが、ちょっと驚いたのが通行車両の少なさです。これはある意味地図を見てみてみればわかることでありまして‥ |
市内中心部を通るR398の内海橋周辺の慢性的な混雑緩和を目的として河口近くに日和大橋が開通したのは1979年(当時は有料道路)。東日本大震災ではR398の内海橋も損傷し(現在は新橋に掛け替えられています)、とにかく震災から半年経った頃も夕方の市内は大渋滞でした。 |
門脇や川口地区に多くの家々や市民病院が建ち並んでいた震災前であれば地域住民による通行需要は多かったでしょうが、現在となってはなかなか見込み通りとはいっていないようです。残念。 |
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しかし不思議なのは左上画像のような「道路の付け替え」です。多くの場所では堤防上を県道が走っているのですが(左側は旧道)、特に堤防をかさ上げしたようにも見えないのに(わずかに新道のほうが高いようですが)わざわざ造り替えるってどういうことなのでしょう?同じような手順は新北上川より下流でのR398でもかつて見られた光景でした(現在は旧道完全撤去済み)。 |
新北上大橋を渡って対岸へ。この橋も北側が落橋しましたが早期に仮復旧されました。 (この区間にくるくるパンダさんがいないかいつも心配します)。 |
さてそんなわけで南三陸町志津川までやってきました。しかしこの時点で10時を少し回ったくらいでありまして、われわれが目的とする「食事処 松原」さんはまだ開店前。となればすぐお隣の「南三陸さんさん商店街」にてしばしうろうろというのが大吉です。 |
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さすがにGWの日曜日ということもあり(ただしこの翌日は平日でした)、朝10時過ぎといえども駐車場はそこそこ埋まっていました。自分は知りませんが、いわゆるGWメインの5/3などは相当混雑したのでは?(近隣に臨時駐車場も設置されたのではないかと思います)。 |
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高野会館は南三陸ホテル観洋ほかを運営する「(株)阿部長商店」が経営していた結婚式場ほかのイベントホールだったそうです。自分は何度か施設周辺(というか真ん前)まで行きましたが、現在は施設のすぐ北側をかさ上げされたR45が通っています。でも現在のかさ上げ道路よりも高いところまで津波は押し寄せたわけです(津波高16.5m)。 |
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というわけで南三陸商店街へ。海鮮物の販売店にはちょっと心惹かれましたが「いやちょっと待てこのあと間違いなく海鮮ランチだぞ」というわけでパス。前回訪問時には同日中に駒の湯温泉に行くつもりだったのでケーキを買いましたが(この時です)、今回はまだ何日かあるのでそれもパス。あ、コーヒー豆買っておけばよかった‥。お土産というより自分用に(職場で飲んでるので)。 |
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ちなみに商店街に到着したのは10:20ころでしたが、さすがはGW、すでに飲食店前には11:00の開店を待つ人たちの行列が。しかしこの方々の行列は、ある意味「切実な事情」に起因する行動だったのかも知れません(後述)。 |
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というわけで、食事処 松原さんにやってきたのは10:50頃でありました。誰も並んでいないように見えますが、実は先着の皆さんは駐車した車の中で待機中でした。と、そのうち1人の男性が並びました。すると、他の皆さんもわらわらと車から出てきて。うーむ、「行列の論理と構造」ですねぇ(笑)。ちなみにわれわれは「あと10分なら」というわけですぐに列に付いたので「2番手」でした。 |
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ここ数年東北太平洋沿岸では「磯焼け」の被害が広がりウニなどの漁獲量が減少していること、そして海水温の変化からかサケの遡上も減少し、そのためイクラの価格も高騰しているということは知ってはいましたが(その一方で福島浜通りではこれまで漁獲がなかった伊勢エビが獲れるようになっているようです)、まさかキラキラうに丼のスタート初日に提供できるウニまでがないとは! |
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図らずも先頭入場となったわれわれを出迎えてくれた奥さま、「開店前の準備中に『習志野ナンバーが駐まってるな』というチェックはしていたんですよ」とのこと。以前、「GWは(あまりに混むものだから)来ないほうがいいですよ」とおっしゃっていましたが、先頭客ゆえお話が出来てヨカッタ。しかし奥さま、ここで肝心なことを?(後述)。 |
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まずは乾杯!とはいえTakemaはこのあとまだまだ長距離運転なので当然お冷や(水)です。おしんこどんは冷酒進行。 |
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「松食うどん・そば」。自分は直接知る由もありませんが、震災前の松原食堂は地域の方々に愛された「地域の食堂」で、地元の方々・学生などに大いに利用されていたということです。中でも若者中心?に親しまれていたのがこの「松食うどん・そば」だったそうで、いわゆる「具材全部載せ」というスペシャルゆえまさにお腹いっぱいになるというのが人気の秘訣だったようです。 |
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最後のあたりにいきなり松原さんが出てきてびっくりしました。そうだったんだ(なるほど)。まぁそれはともかくとして、代わりの名物‥。自分としては「西の明石、東の志津川」を東だけたっぷり実感しているタコを推したいところですが、インパクトとしては明らかに弱いよなぁ(全国どこのスーパーでもアフリカ産を含め買えない日はないので)。何かないものだろうか? |
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そのあともしばらくおじゃましていて、奥さまともちらちらとお話しできました(さすがにGWゆえご主人は厨房専業中)。でもいいんです。だって、 |
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(できれば次回はまた夜がいいなぁ)。 |
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