- 2017夏 キルギス旅行編 その20 タムガ村のサナトリウム(日本兵抑留地)訪問 - さてこのモスクの付近を曲がって少し山の上の方へと上がると旧抑留地なのです。 |
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続いてやってきたのは温泉‥ではありません。タムガ村にあるサナトリウムなのですが、ここには第二次大戦終了後に捕虜として抑留された日本兵が建てた建物などが残っているのだとか。実は結構戦跡訪問が好きなTakemaでありまして、クウェー川鉄橋(タイ)とか、クンユアム(タイ)にあるインパール作戦の博物館とか、パプアニューギニアのウェワクおよびラバウルの戦争博物館や「山本バンカー(地下壕)」とか、そこそこいろんなところを訪問しているつもりです。ひそかに南太平洋の某国にも行きたいと思っています(治安も落ち着いたみたいだし、どうやら温泉もどこぞにあるらしいし(笑)。)。 |
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上画像の古い建物は外装こそリフォームされていそうですが内装の原形はどうなんだろう?(ちなみに日曜日ゆえどなたもおられなかったのです。不法侵入じゃなくて職員の方を探していたわけで)。でもたぶんこれは旧ソビエト時代の建築物なのでしょうね(抑留日本兵による建物は石造りの二階建てだということはわかっていたのですが、ジャミラさんもご存じなかったのか案内はされませんでした。でも、このページを作る段になって改めてネットで調べたところ‥ |
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(上記画像は上記(こちら)のサイトから引用させていただいています。) |
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で、この「サナトリウム=療養所」はもともと軍専用の施設だったようなのですが、今や進化を遂げているようで、どうやらアスリートの合宿所としても利用されているようです。右上画像マウスオンでプールも出てきますし、左上画像の建物は合宿所として利用されているそうな。ちなみにもともと高温泉施設ではなく源泉泥(含放射線物質)による療養施設であるようです。 |
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この階段ははるか下方のイシククル湖までそれこそ真っ直ぐに続いています(右上画像の奥には湖が見えていますが、あそこまで真っ直ぐ!)。この階段歩道をここタムガ村に抑留されていた日本兵が造ったのだということです。でも、その史実には疑問があるかと?(後述)。 |
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途中道路が横断していますが、階段歩道は細々と、でも真っ直ぐに湖まで続いているのが見えます(左上画像マウスオンで多少拡大)。ちなみに付近には小さいとはいえプラムの実がなっているところがありました。さすがに取りやすい場所の実はなくなっていましたが、何とか手を伸ばしてゲット。味はしっかりプラムでした(当然か)。 |
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途中の公園には謎の遊具が。これはどうやって使うんだろう?しかし奥の鉄棒の高さなどから考えても、これは決して幼児用の遊具などではなく「大人の鍛錬用」なのではないかと思われます。ということはこの謎の器具の使用法は‥(左上画像マウスオン)これで正解なのかな?(笑)。 |
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サナトリウム自体は90年ほどの歴史があるらしく、左上画像にはあのガガーリン少佐が1964年にこのサナトリウムを訪問したときの写真が飾られてありました。「地球は青かった」というメッセージを宇宙から送信した人として有名ですが、wikiによると正しい逐語訳は「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」ということだったようです。少佐の身長が158cmと決して高くはなかったというのは写真を見てもわかります。だからこそ選ばれた(当時の宇宙船自体が小さかったので)のだということも。 |
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(右上画像マウスオンで日本語訳の拡大画像に変わります) |
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何だか不思議なことです。でもまぁ、自分などはそれをあまり突き詰めなくてもいいのかなとは思います(歴史学者さんにとってはそれがお仕事なのでしょうから頑張って下さいませ)。2012年にはかつての抑留者の方がこの地を訪問され、かつての村民と旧交を温めたようです。またこの療養所(当時は収容所)だけでなく、キルギスへの抑留者がこんな旧交を温めたこともあったようです。 |
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2012年再訪時の様子が紹介されていました。確か左上画像は桜の植樹だったかな。かつてのタムガ村民と抑留日本兵との間にどのような隔たりがあったのか、それを蒸し返し現代の基準に照らし合わせたところで何も新たな交流進展の原動力にはなり得ません。過去の歴史を踏まえつつも「これからのお互いを繋ぐ象徴」としての桜の植樹。素晴らしいことだと思います。 |
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(「許そう、しかし決して忘れない。」) |
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というシンプルな言葉でした。戦争後、このような現実に直面することは許しがたい(現地には連合国兵士の共同墓地があります)。しかし戦争前に時計の針を戻すことなど出来るはずもないという状況の中で導き出した苦渋の結論がこの短い言葉に凝縮されていると思います。 |
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集合写真の隣の本には、たまたまですが「看取りのこころ」という特集記事の見出しが見えています。そう、そういう年齢層を主要購買層として発行された本にしか抑留兵士の記事は載らない(=ニュースバリューはない)ということなのです。 |
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サナトリウムの出入口付近(ゲートがあります)には商店があり、ここで今宵のためにビールを買い込みます。このブランドのビール、前にも買いましたが結構コクがあって飲みやすいんです。しかもおまけでミニおつまみのピーナツも付いてるし!(笑)。ここからお宿まではそこそこすぐでした。 |
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そのわずかな移動の途中にもこんな大展望が。そして今宵のお宿に到着(WiFi飛んでます)。 |
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広い敷地内にはいろんな果樹が植えられていました。サクランボはやや原種に近くて小さめ&甘みの中にも多少の苦味ありという感じで、もう今から四半世紀前、京都の通称「哲学の道」を桜の実をつまみつつ歩いたことを思い出しました(さすがにあれは苦味が強かったですが)。リンゴはまださすがに早いですね。というかええっと、サクランボさえ「つまんで食べていい」という許可はもらっていなかったわけですが(ほんの数粒をいただいただけです(苦笑))。このほかにはブドウの木もありましたね。 |
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また各ゲージの中ではカモやウサギ、そして七面鳥なのか何なのかの鳥さんも飼育されていました。「なぜ?」に対する答えは自ずから明らかなのでここには書きませんが、何だか見ている限りではほのぼのした次第です。 |
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いやぁ何ともここでのんびりです。ビールもまだ十分に冷えていてウマイヤ朝!」。 こんな敷地内をのんびり散策しつつ再びビールをぐびり、あーこれはかなり最高の悦楽だったかも(嬉)。 |
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このあと19:00から夕ごはん。ジャミラさん&ザックさんと4人で卓を囲みましたが、ザックさんは「お酒にアレルギーがある」ということでこちらの勧めを固辞。いや、ムスリムのザックさん(たぶん)にお酒を勧めてはいけませんなTakema。アレルギー云々というのもそれを断る遠回しな方便だったのかなと(すみません)。 |
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明けて翌朝はこれまたいい天気です。猫もお出迎え‥?いやいやこれは磨いた自然石にフェイスその他を描いた置物ですが、なかなかいい味を出しておりますよ。 |
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