でも大都市やお祭りなどの人ごみにはほぼ近寄らずでした。

その11 標津発、奥行臼・厚岸・熊牛経由で阿寒へ



何だか今回は駅逓見学が多くなりました。

というわけで標津を出発しましたが、オホーツク海を横目にしながら走る道とはいえ、雨ですし景色もどんよりですから無停車で淡々と進みます。最初に車を停めたのはR243との分岐にある駐車公園でしたが(Takemaがトイレ)、すぐ奥には奥行臼の旧駅逓(改修)や標津線の旧奥行臼駅舎も残されているということで、これまで行ったことがなかったこともあり見学することに。



明治から大正、昭和の初めにかけて設置されていたこの「駅逓」、そもそも江戸時代に本州の五街道他主要道では宿駅制が民間施設の運営により成り立っていたのに対し、北海道は明治以降に大規模な開拓が始まったので「官設」なんですよね。だからこそ、数日前に見学した武華駅逓同様、施設は実に立派なのです(まぁ、こちらの駅逓も近年大規模な改修工事が行われたので、いっそうそう見えるのかも知れませんが、別に「広くて立派にした」わけではないでしょうから)。



それにしても当時のお椀やべっ甲の髪飾り、よく残っていたよなぁと。

さて続いては旧奥行臼駅へと‥お、係員さん(無料施設ですが開館時間内常駐のようです)から次のようなお言葉が。



実は2022/7/4に駅の近隣で「熊のうなり声」がするとの通報を受け、駅や駅逓の公開を中止(立ち入り禁止)していたようなのですが、7/15にその措置は解除されたそうで、それでもまだ危険が去ったわけではないというわけでしょう。ありがたく借り受けて駅へ。



こちらの駅もかなり綺麗に保存されています。駅舎はもちろんのこと駅前の草地も綺麗に刈り払われていて、まるで現役のようです。ただし駅待合室に続く踏み分け道がないのが廃線駅の現実ですが。



何だかしみじみするコメントですね。これを毎日見ていると「刷り込まれる」のかも?(特に通学の高校生)。で、日本交通観光社、当時は国鉄の外郭団体としてそこそこ頑張ったようですね。ということは、当時はこの駅が(取り次ぎとはいえ)旅行会社の窓口として機能していて、航空券のやりとりまでもあり得たということ(実際にどこまであったかはともかくとして)。何だか随分と便利だったのね(たぶん)。



かしいではいますがいまだホームにて自立している駅名板。往時は照明も輝いていたのでしょうね。しかし右上画像を見ればわかる通り、ホームの駅舎側には駅名表示もありません。こちらの線路は客扱いをしない留置線だったのでしょうか。



アラ還夫婦がはしゃいでおります(苦笑)。

調べてみると、かつて標津線が貨物営業をしていた頃の名残のようですね。標津線の廃止は1989年4月(ギリ平成なんだ)ですが、貨物営業の終了はそれより前の1980年、さらに遡ればこの駅には別海村営軌道が乗り入れていたわけで(1971年廃止)、今では想像も付きませんが、駅逓時代に端を発する交通の要衝だったわけです。

しかし現在では駅周辺に住宅は皆無で、ここを人馬や貨車、そして気動車が行き交っていたとは思えないほど。栄枯盛衰という言葉がぴったりするとしか言えない場所だったりします。

さて、すぐ近くにはその別海村営軌道のナローゲージ車両が保存されている場所があるのでこちらにも行ってみます。



屋外保存車両としてはかなり良好な状態だと思います。別海町、地元の遺産維持にはちゃんとお金をかけていますね。運転席に藁が置かれているのは「クッションは藁でしたよ」と見せるためなのでしょう。そういえば自分も、子どもの頃藁クッションの椅子を見たことがありました、というか自分も座っていたかもしれない(小学校低学年の古い校舎時代だと思いますが)。



当時の貨物用ディーゼル機関車や無蓋貨物車を見学。かつては牛乳を運んでいたのでしょうか。無蓋貨物車はだいぶ傷んでいるようですが‥。



ここは転車台のようです。直径の小ささゆえ国鉄(JR)のものではなく別海軌道用のようですが、実にきれいに保存されています。でももうすっかり「過去の遺物」なんですよねぇ。このあとはまだまだ雨の中、厚床へと進みました。



昔は全線が「根室本線」と呼ばれていた滝川-根室間の路線ですが、2016年夏に起こった豪雨災害により東鹿越-新得間が不通となり、採算の問題もあり2022年に関係自治体も富良野-新得間のバス転換を容認し、2022年末現在運行が継続されている富良野-東鹿越区間の廃止も秒読みのようです(まだ正式には決まっていないようですがもうすぐ先の話でしょう。この時に乗っておいてヨカッタ‥)。

ということで根室本線の真ん中が分断されてしまうことがほぼ決定してしまったわけですが、そのもう一方の端である「釧路-根室」区間においても状況は切迫しているようです。この区間は路線愛称として「花咲線」というちょっとほのぼのしたネーミングが付けられていますが、何だか自分としては「根室本線」という名前を切り捨てるための愛称命名なのかと思ってしまいます(あくまで個人的感想です)。

根室市としてはその市名を冠する「根室本線」の始発駅であるのに、上級列車(特急)が乗り入れたことはなく確か急行ノサップしかなかった(違ったらご指摘ください)ことに忸怩たる思いを抱いてきたのではないでしょうか?

と、念のためと思って検索してみたら、ここに面白い記事がありました。「根室駅に特急を乗り入れさせる?」。あくまで試験運行のようで、根室市が主催しているようでもあり実現についてはまだまだ紆余曲折もありそうですが、これ、今までやったことのない試みとしてはかなり面白そうな気がします。

根室市、やるのであれば本腰(料金補助を含めて)を入れてやるべきだと思いますよ。企画としてはかなりいいものだと思いますし、うまくすれば観光客が来るハイシーズンだけ札幌発の一部特急を「根室まで延長運転」ともなれば根室市としてはウハウハになりますし(根室まで来た観光客は折り返し列車には乗らず市内を観光&宿泊するので@乗り鉄とは違う)。

すみませんテキストがやたら長くなりました。しかしここまで応援的に書きながらもわれわれはこの旅行中JR北海道には1円も料金を払っていないのでスミマセン(2022年冬のこの時にはちゃんとお支払いしましたが)。



このあとは北太平洋シーサイドライン(天気悪)経由で海沿いを進み、一気に大橋を渡って厚岸までやってきました(天気が良ければあちこち寄り道したと思いますが)。さーてそろそろお昼ごはん‥実は前日のうちに調べてもいたのですが、やっぱりここに行こうということで道の駅厚岸へ。いくつか食事処の選択肢もありますしね。



お天気が悪く暗い画像ですがまさにこんな感じのイメージでした(撮影機材によっては「勝手に自動補整して明るくしてくれる」ものもあるようですが、自分はあまり好きではありません)。ま、昼間ですし実際はここまで暗くはなかった気もします。

ここの2Fにレストランは3店ありますが、観光客の一番人気は「炭焼き 炙屋」なのだと思います。ただ当然のように混んでいたのと、そもそも自分たちで焼くとなると時間がかかりそうだったので、隣接の「オイスターバール ピトレスク」へ。ほぼ待ちなしで窓際のカウンター席へ案内されました(右上画像マウスオーバーでビュー画像に変わります。厚岸大橋がよく見えています)。



Takemaは「牡蠣とあさりの和風パスタ」、おしんこどんは「牡蠣と雲丹のリゾット」を注文しました。さすがに観光地価格です(上のメニュー画像参照。高いよ)。ついでにいえばパスタソースが少々塩味強すぎでした(自分は減塩派ではないのですが)。

まぁ自分が選んだ食事場所なのでぶつくさ言っても仕方ありませんね。というわけで同じ2Fの屋外喫煙所で一服後、何気なくお隣の店のショーケースを見ていたら‥




(これは複数人でシェアできるのでしょうか?)

なお誤解のないようにいえば、生牡蠣4つのバラエティセットではなくそれに蒸し牡蠣やカキフライ、それにスパゲティを合わせたセットのようです(撮影時は「生牡蠣だけでこの値段かい!」と完全に誤解していたので左上画像のようなアングルでの撮影となってしまいました)。

ただ、コロナ禍前まで毎年やっていたTakemaキャンプ、そこで「牡蠣振る舞い」をやっていたわけですが、あの「目黒のサンマ」ならぬ「バラギの生牡蠣」という(ある意味お馬鹿な)イベントを思い起こしました。またやる日は来るのかなぁ?

というわけで1F売店にてご覧のような缶詰を購入してお昼ごはんしゅうりょーう!(そういえばこのページをタイプしているのは12月なのですがまだ食べていないなぁ。食料棚で「熟成の時」を過ごしているのではないかと思います(笑)。

さてこの日のお宿は雌阿寒温泉なのです。標津町から真っ直ぐくればそれこそ2時間半もかからずに着いてしまうので、わざわざ厚岸経由で「意図的な遠回り」をしたわけです。しかし標津-厚岸区間には(今のところ気になる)温泉がほとんどないため、道道14号経由で北上した標茶町で1湯といきましょう。2021夏にはオーロラ温泉に立ち寄りましたが、今回は久々に「ペンションの湯」といきますか!



というわけでペンション熊牛さんへ。2012年(この時)以来です。



朝早くからやっていますね。ただし現在はペンションとしての宿泊は受け付けておらず日帰り入浴だけのようです。で、ここでびっくり。

そもそもの日帰り(貸し切り)入浴料が300円/人と格安なのですが、対応してくださった奥さん(ペンションですから女将さんでもないでしょう)いわく、「うちは初めてですか?」。「いやずいぶん前(2012年=10年前ですが)におじゃましたことがあります」と申し上げると‥



うわ、割引料金で入浴させていただけることに(有効期限はないと思われます(笑))。前回同様「どちらのお風呂にしますか?」と聞かれたので、今回は手前の「四角い露天風呂」のある方へ。





熱すぎるということはなく43度台というところでしょうか。標茶町内の多くのお湯に共通するモール泉で、茶濁りありのツルツルするお湯です。先客さんもなくほぼ誰も入っていなかったはずなのでお湯の鮮度も良好だったかと。



続いては露天風呂へ。湯面の広さもありこちらの方がぬるめで41度台半ばかなと。モール泉由来の茶系透明湯なのですが、



ところでこの標茶や弟子屈界隈を大々的に売り出した某会社さん、一時はかなり奥地の方まで温泉掘削を軸に別荘地需要を打ち出そうとした感じです(もちろんそれは会社として当然の営業活動です)。今はどうなのかはよくわかりませんが、自分はかつてその「物件情報(温泉付き)」をもとにして(場所はボカされてはいますが蛇(じゃ)の道は蛇として)いくつか探索したことを思い出します(基本的にほぼ×でしたが)。

さらに思い起こせば、たまたま行き着いた当時の仮設「熊石温泉」は某社さんの手によるものだったのか?しかしあの源泉はモール由来の色付きもない完全透明湯だったし、あれはいったいどこ?(ネット普及前だったし仮設道路仮設浴槽だったので今でも特定できていないのです)。



き、キミはどこにあった湯だったのか?(遠い目)。

実はツイッターでこの湯の情報について情報提供を呼びかけ、かつ自分でも「もしかしてここペンション熊牛のある場所だったのではないか」との仮説を立ててみたのですが(時期的には確かにぴったり合う)、結論として「完全に違う」ことが判明(熊牛さんに直電で確認したので間違いなし)。

熊牛の奥さんいわく「この近くのどこかに漁師さんがよく使う無料の温泉があったようなんですよ。わたしどものところにも最初の頃何件か問い合わせがありました」とのことで、この無料温泉は「漁師御用達の湯」だった可能性が浮上しました(笑)。情報をご存じの方は是非お教え下さいませ。

ところで「10年前より色付きが薄くなったのは事実」のようです。でも何年かおきに某T大学(東大ではない関東圏国立大)の方々が源泉を確認してくれていて、成分的に変化はみられないということです。

なお場所はちょっと離れますし場所は書きませんが、この界隈の広域温泉エリアの中には湯量の減少及び湯温低下が顕著になりつつある地域もあるそうです。ただそんなに温浴施設が多い場所でもないはずなのに?

ふと思い出しました。もうずいぶん前にお亡くなりになり、今や建物の跡形もなくなった新潟の「真人温泉えこじの湯」、そのご主人が下ネタを交えつつも話してくれたひと言を。いわく、



手を入れなければもちろん、手を入れていても地下の何らかの力で「逃げるときは逃げてしまう」ということなんでしょうねぇ。





ちなみに上の湯足画像だけを見ると神妙に湯浴みをしているように見えますが、実際はおしんこどんと下らぬ競争バトルをしていたことをここに打ち明けます。題して「ひと蹴りでどこまで移動できるか競争」ですが、詳細については差し控えますね(笑)。



このあとは弟子屈のフクハラスーパーにて買い出しです。この日のお宿雌阿寒の野中温泉は1泊朝食付きの予約なので、ここ弟子屈で買っておかないとあとは阿寒湖のセイコマしか買い出しスポットが思いつきません。阿寒湖温泉にスーパーってあるのかな?(あるようなないような)。

というわけで、このあとは一気に雨と霧の峠を越えて(ついでにそんなお天気だったこともあり気分が乗らず訪問予定だった某湯をパスして)雌阿寒へと向かいます。


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