- その2 まずは深夜の北上、朝ごはんは当然海沿いのあそこで -



夜明けだ、日の出だ、朝ごはんだ。

(2024年5月2-6日 その2)

さて、5/3は首都圏の高速道路が大渋滞すること必定なので、いつも前夜のうちに出発しています。ただこれも出発時間が年々早まっておりまして、以前は22:00頃に出発していたと思うのですが、2023は確か20:00だったかな。

そして今年2024なのですが、17:00頃自宅に戻ってきて「さて仮眠を」ということで一度は布団に入ったわけですが、さっきまで普通の平日モードで動いていたのに、いきなり眠りに入れるわけもありません。5分ほど横になっていましたが、



というわけで、何と17:30にはすでに出発してしまいました(さすがに早出の新記録です)。まぁこれなら夕食もどこかのSAPAで食べられるだろうし、車中での仮眠をする前に相当北の方まで行かれるだろうから渋滞は間違いなく避けられるでしょう。


とまぁ、あまりにも快調に北上してきています。この勢いなら朝には八戸界隈まで余裕で行かれそうですが(笑)、初日のお宿は岩手県最南部なのでそもそもそんなに北上しません(笑)。

なお夕食ですが、「さてそろそろ」と思って途中の中郷SAに立ち寄ってみたところ満席御礼モードの混雑で、しかも食事メニューがなかなか強気の料金設定でして「やぁめた」となり、関本PAでコンビニおにぎりとアメリカンドッグを買ってパクパクとなりました。

このあとさらに北上し、昨年と同じ場所に到着です。


ちなみに上画像だけで「Takemaがどこで寝ているか」がすぐわかった方が複数おられたことにびっくりしましたが、慣れた方ならすぐに「なるほどね」とお思いになるであろう場所です。







そう、ここは名取市閖上の「閖上朝市」会場なのでありました。こちらの朝市は通常日曜日のみの開催なのですが、GW期間中はほぼフルで開催され、しかも「朝市」の名の通り朝6:00(前後)からの営業ということで朝ごはんも食べられるし、まさに深夜到着の仮眠地として「言うこと茄子!」の場所なのであります(駐車場は24時間開放です)。



もちろん、朝から食べられる中華そばのお店やファストフード系の屋台も出ていますし、海側には海鮮BBQの広いコーナーもあります(昨年はそちらも利用しました。その時のページはこちら)。またTakemaの居場所を突きとめたとある御仁からは「○○の中華そばがお勧め!」とのアドバイスもいただきましたが、残念ながらこの日そのお店のシャッターが開くことはありませんでした(残念)。




(別皿のチャーハン&キムチはサービス)

案外に餃子の皮が厚くてお腹が膨れました(右上画像マウスオーバーで拡大画像に変わります)。そうか、前回は一皿をおしんこどんとシェアしたから海鮮BBQにも手が出せたんだなと判明しました。よって今回は以上で朝ごはん終了です!

ところで、水餃子を食べる前に朝市会場内をうろうろしていたところ、思わぬお声がけが!

(どなただろう?)

○○さんとはツイッターXで相互フォロー関係にある方で、この日はご夫婦でお越しになっていました。というか、



ありゃまー、完全に見抜かれていたわけですね!(笑)。でも、こうやって非日常の場でどなたかに声を掛けられるって結構嬉しかったりします。これも、25年もの長きにわたり「顔出し上等!」をつらぬいてきた成果なのかも知れません。以前もバンジージャンプ会場やキャンプ場などでお声掛けをいただきましたっけ。ま、その「顔」とやらもずいぶんとジジイ化しましたけれどね(苦笑)。

なお、○○さんご夫妻もわざわざ珍獣Takemaを探しに朝市にお越しになったわけでは毛頭なく(苦笑)、このあと岐阜県のキャンプ場に行き、顔なじみのオーナーさんとワイワイするためのお土産その他を買いにお越しになったのだとか(確かに旦那さんはいろいろとお買い求めになっていたような)。聞けばそのキャンプ場も「そろそろ終わり(閉業)にしようか」という流れになりつつあるようです。温泉浴場や宿のみならず、キャンプ場などもまた減っていく傾向にあるのかなと。特に個人営業の施設がどんどん減っていく‥。



というわけで、ふと駒の湯さんに海鮮お土産もいいなということで最初に閖上産シジミを購入。で、いったん車に置きに戻り(発泡スチロール箱は車に常備)、またうろうろしていたらシジミを買ったことをソッコーで忘れ、ツブ貝にまで手を出してしまったのはここだけのヒミツです。このあと湯守は殻を割ろうとして難渋なさったのだとか。塩茹でが一番簡単そう(唾液腺は必ず取ること)。



というわけで気がつけば4店で買い物をしていましたが今回はここまでにして出発です。駐車場は当然のごとく満車状態で、このあともどんどん車がやってきていました。さぁって、このあとはどこへ?





こちらに初めておじゃましたのはそう古いことでもなく2016/3でした(その時のページはこちら)。閖上地区は東日本大震災に伴う津波被害が甚大だと聞いていたこともあり、それまではここ閖上の日和山まで足を延ばすことを躊躇っていた記憶があります。そのかわり「閖上さいかい市場」には何度も通っていましたが(笑)。

ところで、旧さいかい市場で「漁亭 浜や」さんのお隣にあった魚屋さんというか練り物やさんは現在どこかで店舗を構えているのでしょうか?てんぷら(さつま揚げ)各種が美味しかったのでまた買いたいのです。ご存じの方、お教えいただければ幸いです。



こちらの日和山は大正時代に築造された人工丘だそうですが、当時の方々からすれば「津波避難丘」としての役割をも考えておられたのかもしれません。しかし東日本大震災による津波はこの頂上をはるかに超える高さまで達し、避難丘としての役割を果たすことは出来ませんでした。でも現在はすっかり再整備もなされており、右上画像のような悲惨さを感じることはありません。





山の上から望む景色も、あちこちに水産加工施設が増えました(住宅は建てられません)。そしてもちろん朝市目当てに人々が再び集まり賑わうようになった閖上地区。もちろん現在の姿をして復興完了と言わしめることは出来ないでしょうが、一つの形を成したとは間違いなくいえるでしょう。もちろんゴールはなく常に現在進行形なのは被災地に限らずどこでも同じです。

さて閖上からは再び高速に乗り、今度は久々に女川を目指しました。



到着後、最初に向かったのは女川町立病院(現女川町地域医療センター)でした。標高16mの高台に位置する地域中核病院でありながらも、津波は1F天井付近まで押し寄せたといいます。その高台の縁に上のようなモニュメントがありました。

ただ、病院としての機能復旧は迅速に行われたようですし、一時はミニ集会所機能を持たせた軽食喫茶や「女川さいがいFM」の放送施設も置かれていました(2014/7の訪問記ページはこちら)。というか、当時は他に「そこそこ安全な平地」がなかったのかもしれません。

今やシーパルピア女川が集客の拠点として機能しており、この高台駐車場に上がってくるよそ者は少ないことでしょう。でも自分としては久々にここからの景色を眺めたかったのです。



このあとはシーパルピアの駐車場に車を駐め‥うわ、どこもガーラガラ湯沢!というのもまだこの時点で8時ちょい過ぎでしたので‥




(お店も開いていないので当然です)





ちなみに営業は「土日祝日のみ」だそうですが、ということはこの日は営業日ですね(自分は開店まで待てませんが)。そんなわけで何も買えず(当然)再び北上開始です。



途中、竹浦の漁港に立ち寄りました。実は今後開催予定(だった)Takemaオフキャンプイベントの振る舞い帆立貝を直接予約しようと思ったからなのですが、漁港施設内に人の姿は見えたにもかかわらず、なぜかこの時だけ「引っ込み思案のTakema」となってしまい、何のコンタクトも取らずにこの場から離れた次第です。まぁ結果オーライだったわけですが、何だろう、虫でも知らせていたのかな?(笑)。







続いて「道の駅 硯上の里おがつ」へ。以前見学したこともありますが、ここ旧雄勝町は「雄勝石」の産地として知られ、屋根材のスレートや硯(すずり)の材料として利用されています。現東京駅丸の内口の屋根にも使われているそうです。

ただ今回は相変わらずまだ開店準備中のところばかりで、海鮮まつりのご相伴にも与れぬままでした。ま、海幸系はこのあといただくのでそれはいいんです。この日は暖かかった(というかやや暑)だったので海側を見たりもしたわけですが、





高さ最大9.7m、長さ3kmにも及ぶ防潮堤の築造には住民からの反対意見もあったようですが、復興予算の用途が限られていたためこういう形になったようです。たしかに雄勝地区の被災度合いもひどかったですし(雄勝病院では3階建ての4F屋上に逃げた職員も含め、68名のうち64名が還らぬ人となったといいます)、東日本大震災時級の津波が再度押し寄せたときに10m弱の防潮堤がどこまで役目を果たせるのかもわかりません。

ただ、三陸沿岸の復興工事に「今回の最大津波に耐えられるレベル」を求めきれなかったのも事実で、もしそれを求めたら天文学的な復興予算が必要になったはずでしょう。だから「いつかはわからないがまた来る」大津波よりも「それよりもはるかに高い確率で確実に来る低め(5mとか)」の津波に対応できる防御としたのでしょう。現実問題としてはやむを得ない選択だと思います。

あまりくどくど書いても詮無いことなのでこの辺で終わりにしてさらに北上、志津川へと向かいます。







しかし商店街も開店するかしないかのタイミングでしたので、近年オープンした「南三陸311メモリアル」へ。映像ゾーンを含まない有料券(200円)を購入しましたが、うーん、外見の規模に比べればイマイチの情報量だったような気がします(震災発生半年後に惨状を実際目にし、2014にはまだ瓦礫も多く残る中で各地の語り部さんに説明をいただいた身からすれば@この時です)。

当時から予想していたように、現物としての「震災遺構」を多く残さず、こういったメモリアルばかりで往時を偲ぶことは出来ませんね。特に震災を知らない世代の人たちにはやはり「現物」が必要でした。気仙沼の「第16共徳丸」などは遺構として絶対に残すべきだったと自分では思います。それは「未来の訪問者たちへの新たな記憶のために」。

南三陸町でいえば、旧防災庁舎を最終的に「町として残す」ことを選択したのは英断だったと思いますし、近隣には(株)阿部長商店の意向により旧高野会館も保存されています(もっともこちらは創業者さんの決断によるものだったのでしょうが)。なお気仙沼には「被災はしたが住民30名の命を救ったらせん階段付きの創業者さん元自宅」も移設保存されていますよ=詳しくはこちら)。

でも、もう少し残してほしかったな。そういえば旧志津川駅とかはどうなっているんだろう?以前はまだあったし、あの駅跡も遺構として取り上げてほしいと思います(グーグルマップで見る限り現存はしている様子)。



さて時に10:20頃になりまして、さんさん商店街の各飲食店にはそれぞれ行列ができはじめていました。さすがにGWということもあり各店とも開店時間を早めているようです(おおよそ10:30開店)。今年もウニ単価が高めらしく、さんさん公式サイトでは「各店舗もほぼ3960円での提供」だと記載されていました。

でもね、わたしはこちらではなくいつもの(仮設商店街時代にはさんさんメンバーでもあった)‥





とはいえこちらにも車上待機のお客さんはそこそこおられ、左上画像ではまだ並んでいませんが、10:35頃だったか誰かが並び出すと一気に列が(列の摂理と構造)。でもまぁ10人くらいでしたが。

と、10:40頃、思いもかけず「開店」しました!これだからGWは油断がなりません(笑)。奥様が迎え入れてくださったのですが、あとでうかがったところによると、



というわけでびっくりなさったそうです(笑)。ええっと仮設商店街時代にも自分1人で来たことはありましたよ!その時に「あれ、今回は奥さんがいないじゃない?置いてきたの?」とツッコまれた記憶もありますが(笑)。まぁそんなことはいいとして今回はカウンター席へ(1人なので当然)。



それにしても独立店舗ならではのお洒落な構造です。

2014/7、仮設商店街内店舗の初訪問以来(この時)、松原さんには数え切れないくらいおじゃましています。現店舗での営業再開となってからも何度もおじゃましていますが(現店舗最初の訪問はこちら(2017/12)、その次に初のお酒夕ごはんはこちら(2018/3))、たぶん現店舗の夜に、


と言われていました。でも来ちゃってごめんなさい。というか、以前の仮設店舗時代も訪問の多くはGWだったんじゃなかったかな?しかも開店前に並んでいたことが多かった記憶があります。自分の行動パターンは全然変わっていませんね(苦笑)。

さてさてそんなわけで、





ウニばっかりのウニ丼は今回不要、やっぱりいろんな海幸をまとった海鮮丼が一番です!エビはプリプリ、カニ脚は太くて身もたっぷり、そしてシコシコの志津川タコ刺にトロットロのトロ、さらに白身とホタテはもはや添え物です!(個人的評価)。

お土産でタコの唐揚げも2つお願いしました(駒の湯さん用と自分の今夜の宴会用)。じつに美味しかったぁ!(わかっていましたが)。繁忙タイムなので厨房のご主人にはご挨拶できませんでしたが、またおじゃましますので無問題です。ごちそうさまでしたぁ!

さてここからは一気に内陸へと向かいます。

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