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- その1 まずは新幹線で北上し、気仙沼経由で南三陸へ -



吾妻小富士を眺めつつ朝からお酒をちびちび。くぅーっ、たまりませんなぁ。

(2019年1月5日-7日 1/4ページ)

さて、Takemaの2019仕事始めはなぜか例年より遅く1/8(火)からだったのでありました。ん?ということは7日の月曜日まで3連休ではないですか!年始明けすぐの週末はどこもあまり混んでいないはず、ということで早速お出かけを画策いたしました(細かな計画を立てたのは三が日あたりでしたが)。

で、お気づきの方もいるかも知れませんが、われわれのお出かけは基本的に車です(今やバイクは通勤専用車になってます。ただし平日は毎日乗ってますよ)。しかし何年かに1回は「完全鉄の旅」(出先でレンタカーを借りたりせず基本的に全て鉄道およびバスほかで回る旅)を行っているんです。

最近でいえば2017は花輪線と秋田縦貫鉄道、2015は野岩鉄道と磐越西線、その他これまでに五能線とか只見線、北海道では石北本線とか釧網本線とかいろいろと巡ってきたわけですが、共通しているのはその全てが「冬」なんです。そう、車窓を流れる雪景色を肴に飲みながらの移動、これは車での移動では叶わぬ夢ですからね。

というわけで今回は鉄の旅、おしんこどんともども要所要所で飲みながらあっちこっちを移動していきます。では始まりはじまりー!





まずは東北新幹線の始発列車に乗って出発です。指定席、ガラガラですなぁ。ちなみにはやぶさとだと大宮の次が仙台で、何だか「移動の感覚」がピンとこないのですが、このやまびこは県庁所在地(と郡山)には止まるので「ここまで来たか感」がわかりやすくてヨロシイです。ビジネス客の場合はともかく、旅行者としてはこういうじわじわ感が嬉しいんですよ。



発車してしばし、朝ごはんの駅弁をいただきます。Takemaは米沢の「牛肉どまん中」、おしんこどんは大船軒(大船市)の「祭」弁当です。うーん確かに朝から単調な味が続く弁当はちょっと失敗だったかも。よっておしんこどんの選択が正解!ちなみにビールのあとは冷酒に移行しました。だって鉄旅だもん♪



やがて筑波山を右手に見ながら日の出です。考えてみれば日の出前から飲み始めてたのね(至福)。



その冷酒も全部飲みきったあとは何とホットコーヒーを注文です。朝からテヘペロならぬベロベロンになるのもどうかと思って‥(いやそんなにお酒に弱くはないつもりですが)。

ちなみに古川駅ホームでの画像がありますが、後続のはやぶさの通過待ち合わせということで「もしやの喫煙行動可能?」と思って下りただけです。でも喫煙所は結構後ろのほうだったのでまぁいいやと諦めました(いじましい‥)。



一ノ関で下車して在来線の大船渡線ホームへ。鉄路はもう大船渡までは続いていないんですけれどね(残念)。

それはともかくとして、気仙沼行きの列車を待つ中華系外国人の方々が多いこと!たまたま新幹線で真後ろの席に座っていた中国系の女性二人と目を合わせていたもので、このホームに別の列車が到着したときも「これじゃないですから乗らないで下さいね」と声をかけましたが、一部の方々はわれ先にと乗り込んでいたなぁ(回送扱いのため係員に追い出されていた)。ただしアナウンスが一切無いのもどうなのかなと。





まぁ当然使用許諾は得ているはずですが‥帰宅後調べてみると、これはPOKÉMON with YOU」というタイアップ企画で、東日本大震災後の子どもたちを元気づけようと始められたのだとか。夏休みなどにはJR東日本管内でポケモンスタンプラリーなども行われているようですが、いっぽうでここ大船渡線には週末を中心に特別車両のポケモントレインも走っているようです(詳しくはこちら)。

全車指定席ですが、この日は運行日だったこともあり時間を合わせて乗ってみてもよかったか?いや、50歳台半ばの子なし孫なし夫婦が車内ではしゃいだりしても浮きまくり必須ですから、ここは通常の車両で良かったということにしておきましょう。



やがて列車が到着し、いざ乗り込んでみると乗車率はこんな感じで無事ボックス席ゲット。あ、かの女性お2人も途中で空いたボックス席に移ってきました。猊鼻渓に行くとのことで、実際猊鼻渓ではほぼ全ての外国人旅行者が下車したわけですが、猊鼻渓、なぜそんなに人気なのか不思議です。自分たちは船乗り場までしか行ったことないし(当時は船の時間が合わずに断念=この時です)。

ちなみに車両側面には「ドラゴンレール大船渡線」のステッカーが貼られています(右上画像マウスオン)。地図を見ればわかりますが、この大船渡線は実にくねくねと大回りしているんです。いわゆる当時の政治力による「我田引鉄」の結果このようなルートになってしまったというわけですが、今もそんな流れはありますね。リニア新幹線の名古屋以西ルートや北陸新幹線の大阪延伸ルートとかはまさにそれです(さすがに政治家が表立って圧力をかけることはないようですが見えないだけかも)。




(あくまで「呑気な旅行者」の立場からの言い分です)



ちなみにこの列車の先頭には何と3人が乗務しておりまして、後尾には車掌さんもいたので何と4人シフトでの運行でした。この日はお天気も安定していて、雪国での列車運行に先頭乗務員2名というのは普通のはずですがもうお一人は?



そう思っていたところ列車交換の摺沢駅で先頭のうちのお一人が下りていきました。単純な人員移動だったのかなと。ちなみに列車交換の隙に喫煙をと思いましたが下り線ホームには喫煙所がなくあえなく玉砕(苦笑)。ただ停車中に運転席界隈を見ていたら、「これはもう当時から今もまだ走っている車両だけの掲示だよなぁ」というものを発見!





そもそもこの列車が走っているのは「大船渡線」なのですが、かの震災による津波被災により線路は気仙沼駅で途切れています。いま現在、そしてたぶんこれからもおそらくずっと、この列車がこの番号通りの鉄路及び駅を進行することはあり得ないわけですから。

この車両が走り続ける限りこの駅名表はこの運転席内に掲示され続けることでしょう。震災から間もなく8年になるというのに、これまでこの掲示物が外されてこなかったところにJR関係者の方々の(無念の)思いが伝わってくるような気がします。

というわけでこの界隈の大船渡線動画をば。





静かに佇むローカル駅に1つ1つ止まっていきますが、ピカチュウ駅名板があったりして油断できません(笑)。



そんなわけで終点の気仙沼駅に到着です。ご覧のとおり列車ホームとBRT乗り場は近接して‥いるのはあたりまえで、BRTバスが走っているのはもともと線路があった場所をかさ上げしているわけですから。

でもJR東日本はBRTをあくまで「鉄道」として扱っています。公式の路線図にもあくまで鉄道区間と同様にBRTの駅(停留所)が表示されていますし、もちろん今回購入した切符もBRT志津川まで普通に購入できましたし。確か以前の記憶ではBRT陸前高田駅には「みどりの窓口」もあったような?(今もあります)。



もちろんBRTの発着線も「番線(ホーム)」という扱いです。南行きBRTは1番線から発車しまぁす!

でも発車までは少し間があるので駅前をうろうろすることにします。気仙沼駅は市の中心部の外れで津波の被災もなかったので震災前のままなんです。



駅入口では絵ではなく立体ピカチュウもお出迎えしてくれています。



左上画像はなぜか露出オーバーで白っぽい画像になっていますが観光案内所です。2010/10、体育の日絡みの3連休、予約なしで到着したわれわれはこの案内所で「気仙沼ホテル」を紹介されたんでしたっけ。併設の「ゑびす振舞」での居酒屋夕食、美味しかったなぁ。そしてその5ヶ月後にあの地震と津波が‥。なお震災前の訪問ページはこちら、そして震災後はこちらとかこちらとか。結局老舗だった気仙沼ホテルはそのまま廃業となってしまったわけですが、もう最後と決めて、もはや旧ゑびす振舞の建物すら存在しないのがわかっていたのに訪問した時(2018)のページはこちらでもその全てのきっかけはこの観光案内所から始まったわけだったのです。

今回は乗り換えだけで通過してしまった気仙沼ですが、今度は泊まりに来なくちゃなぁ。それも、震災後に着工して間もなく(2019/4/7)開通する橋を渡って気仙沼大島に是非とも泊まってみたい!



そんなわけで気仙沼線BRTの柳津行きがやってきました。そういえば以前「BRTに観光向けの車両を導入」というニュースを見たことがありましたがこれだったんですね。で、乗り込んでみるとなぜかキノコが生えてる(笑)。観光パンフ置き場なんですが、椅子を撤去してディスプレイの場所にするとは‥ま、それもありかな?

ちなみにこのバスは元川崎市交通局所属のものだそうで、1999年登録のようなのでかなりお年を召しています。でも車内も乗り心地も特に古さは感じませんでした。日々のメンテナンスがしっかり為されているゆえかと。



そんなわけでバスには珍しい「ボックス席」に座り、専用道を進みます。ここ、線路だったんだよなぁ。



専用線走行区間でも一般道との交差部(踏切)では信号もあったりします。BRT優先とは限りません。



まだ専用道の整備が終わっていない一般道走行区間もありますがあちらこちらで工事中。



数年後には現在よりも専用区間が増えると思われます(あちこち旧線を工事中でした)。

BRTに乗車したのは初めてでしたが、「バス転換」というマイナスイメージだけではないなと感じました。専用線利用による運行時間の定時性確保もありますし(これは専用線区間が増えれば増えるほど確保できるはず)、路線維持費用も削減できます。そして何よりも「運行本数を柔軟に変更できる」というのが大きいと思います。

震災直前の気仙沼線ダイヤは不明ですが、その昔、最近よりも鉄道利用者が間違いなく多かったであろう1981/3の時刻表が手元にあります。それによると気仙沼-柳津-前谷地の全線を走る列車は1日5往復しかなかったようです(気仙沼-本吉の区間運行は1日7往復)。

それに比べてこのBRTは2019/1現在気仙沼-柳津間を1日15往復の運行で、本吉までの区間運行だとさらに倍増の31往復です(柳津-前谷地区間は鉄道区間との重複運行なので単純な比較は出来ません)。利便性という点では間違いなくBRTがまさっています。

ただ、一部区間(市街地及び旧線が利用できない区間)で一般道を走らねばならないこともあり、所要時間は鉄道に比べて多少長くなっているのも事実です。でもたとえば南三陸町内などでは復興住宅街や市役所など、鉄道であれば立ち寄れなかったエリアにも入っていくBRTだったりするのです。

被災前には(自分には)考えもつかなかった「BRT」という発想。もちろんJR東日本も想定などしていなかったはずですが、ある意味「これはこれでありなのかなぁ」と思った次第です。



基本的にかつての駅を再整備しているのでスペースにも余裕があります。単線トンネルは‥




(出口が見えない場所の画像を撮りたかったんですが全部ブレブレだったので‥)



さて本吉で運転手さんもチェンジです。鉄道時代はどうだったのでしょうか、運転時間40分くらいで交代はなくて、おそらく終点まで1人の運転士が運転したのではないかなと。しかしこうすることにより、ここから柳津(または前谷地)までの連続運転時間を2時間以内に収めることができているわけです。



やがて南三陸町に入り、Jリーグの旗が見えてくると歌津です。このあたりもかさ上げが進み、震災後初めて来た頃の面影はほぼなくなりました。「うたちゃんばし」もなくなっちゃったし。郵便局の移動ATMバスは被災後半年の大槌町でも目にしましたし(右上画像マウスオンで2011/8の大槌町内画像に変わります)、ここ歌津が仮設で移動した時にはもうあたりまえのように駐まっていましたっけ。佐藤酒店さんにもまた行かなくちゃですが、今回は時間の都合上通過です。



歌津-志津川間は現在ほぼ全て国道を走行します。しかし隣接する線路は左上画像のように工事が行われていて、ゆくゆくは専用路を使った運行になるものと思われます。そして志津川地区に入ると、一般バスのごとく復興住宅街・病院や役場を経由した上で志津川に到着です。病院や役場に立ち寄ってくれるのは利便性が高くいいですね。そのぶん時間はかかりますが、これはBRTの利点ではないかと。

そんなわけで、定刻より数分遅れでしたが志津川ターミナルに到着です。この続きは次ページにて。というか、拙サイト常連さんであればこのあとわれわれが目指す場所はもうおわかりですよね。

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