- その2 千葉発、南三陸経由で秋田県境近くの山の湯へ -



ダム上を吹く風はまだ冬の冷たいそれでした。

(2024年3月27-31日 その2)

さて久々の5日間お出かけスタートです。最初の目的地である南三陸町志津川まではグーグルさんによると5時間半くらいかかるようなので、休憩も含めて逆算し朝5:00に出発しました。たぶん途中で時間調整タイムを取ることでしょうがそれはそれってことで焦るよりはいいや。



日立中央ICで最初の休憩。自分はここで休むことが実に多くて、そのいっぽうでその先の中郷SAにはほとんど寄ったことがありません。自分でも不思議です(苦笑)。ただPAからの展望はご覧のとおりのたいへいよーう!景色はいいですしコンビニ24h営業ですしね。



いつものように常磐道を直進していきます。この「いつものように」というのが肝でして、東日本の震災直後はいわき中央ICから北が通行止めとなっていて、その後も広野ICまでしか通行できない時期がそこそこ長く続きました。常磐富岡ICまでは震災前に開通していたんですけれどね。あの頃は悲観的な思いばかりだったなぁ。




(画像は2011/6のものです。当該ページはこちら

当時、故安倍首相による「常磐道は全線開通させる!」との発言には耳を疑うほどでした。しかし富岡町の避難指示解除当日に現地(富岡駅前)で挨拶をなさっていたかの首相に「この人は頑張ってくれている!」という思いを抱いたことはよく覚えています。確か同じ日の午後に自分たちも富岡駅前に足を運んだんだっけ(その時のページはこちら)。

その後、南相馬市小高区の避難指示解除(の直前)とか(こちら)、大熊町大川原地区の避難指示解除2日後とか(こちら)、一般人が入れるエリアが広がる度に浜通りに足をのばしてきました。あ、夜ノ森の桜はもちろん何度かおじゃましましたし、そういえば「うみらぼ」主催で長栄丸に乗りこみ海底の汚染調査や漁業調査(という名の釣りボラ)に参加したこともありましたっけ(こちら)。

でも、原発事故から13年以上が過ぎた今、現地は次のステージ上を進行していると思います。




(上画像はこの日南相馬鹿島SAで撮影した早咲きの桜です)

一部の「風評加害者一派」はともかくとして、現地に戻った方々はもはや「被災者」としてではなく「そこに住むごく普通の住民」として生活なさっているようにお見受けします。そのような方々に対してわれわれ部外者にまだ出来ることがあるとすれば、それは「現地を訪れ、現地で美味しいものを食べ買い物をし、そして現地の今を(前向き姿勢で)発信する」ことなのではないでしょうか。

なぁに難しいことではありません。浪江焼きそばを頬張り、請戸川や坂下ダム、夜ノ森でお花見をして、ここなら商店街でお買い物をして(大川原のイチゴもおすすめ)、ついでに時間があれば天神岬温泉で湯に浸かり、家に帰ってきたらSNSで(またはアナログで)「あー、楽しかった♪」と呟けばいいだけです。誰でもできますし、そこに変な使命感などはもはや必要もありません。皆さん一緒に(個々人レベルで)やりましょうよ。



それにしても南相馬鹿島SA、整備時にいい桜を選びましたね@関係者各位。早咲きですがヤマザクラのように花と葉が同時に出る種類でもなく、しかもピンクが濃くて目立つことからSAという場所にはもってこいの品種だと思います。

あ、このSAは施設が上下線兼用ということ、また前後のPAがともに無人のPA(しかもそこそこ遠い)ということもありいつも賑わっているのですが、さすが「相馬野馬追」の里ですね、何と「法螺貝」まで販売されていました。そうそう売れるものではないと思いますがなかなかのお値段(笑)。「試し吹き」はでき‥ないんだろうなやっぱり。

さてしかし、今回のお出かけのメインは津軽方面なので(上でエラソに書いたくせに)浜通りは通過いたします。また来ますので今春はゴメンナサイ。



というわけで三陸道に入り、石巻エリア直前の矢本PAで休憩です。実はこの前日は仙台とか南東北の太平洋側を中心に雪が降ったようでした。まぁ3月下旬のぼたん雪でしたのでそこそこすぐに溶けたようですが、日陰の木々にはそこそこ名残雪が残っていました。まだスタッドレスタイヤ装着中だったTakema車ゆえ「ふふふ、恐れることはないぞよ」と根拠なき自信満々だったわけでしたが、結局路面の雪を踏むことは全然ありませんでした(駐車場の雪が残っていた部分で無理矢理走らせただけ)。もちろん帰着後はすぐにノーマルタイヤに履き替えましたよ。



さて実に順調に走ってきたこともあり時間調整が必要となりました(予想通りの展開)。というわけであえて三陸道を降りて一般道(R45)へ、そして道の駅津山「もくもくランド」にて休憩です。

こちらの道の駅は木工品の販売が売りです。2011/8にこのエリアを訪問した際、当時の南三陸町志津川地区は壊滅的状況にあったため何もお買い物は出来なかったわけですが、登米市に属するこの道の駅で‥




(その時のページはこちら

なおこのお盆ですが、現在はTakemaの勤務先正門の守衛所にて外来訪問者記入ノート冊子を載せるお盆として現役で使われています(Takemaが寄贈、守衛さんが毎朝毎夕本部と守衛所を移動する際にノートをお盆ごと移動しているようです)。さすがに10年以上使われていて年季こそ入ってきていますがまだ壊れた部位はないようですので何より。

そして志津川に到着しましたが、まだ「食事処 松原」さんの開店には少しだけ時間があるというわけで(この日は平日ですしオープンと同時に満席になるわけでもなかろうということで)、近隣のホームセンターであるダイユーエイトへ。いや、おしんこどんが「長靴を所望」していたもので。

というわけで松原さんに到着です。



このお出かけ計画立案時には「最終日の夜に松原さんで飲んだくれる」予定だったのですが、2日早く帰らねばならなくなったのでその計画は断念。でも逆転の発想で「初日のお昼ごはんなら行かれないか」という腹案を思いつき「何の問題もない、ただし朝は千葉を5時発ね」という結論に至ったわけでありました(結果的に時間は余りましたが、遅くなるよりは何の問題もなし)。

というわけで松原さんの奥さん、旦那さんにもご挨拶して「本日のランチ、スタートです」。







ええっと左上画像は「松食うどん」です。「せっかく南三陸まで来たのにうどん?」と思われる方もいるかと思いますが、そもそも震災前の「松原食堂」さんは地域の皆さん御用達の食堂だったそうで、ラーメンや定食、それに一品料理をメインに提供するお店だったそうです。そして休日ともなると、地域の野球チームなどが試合を終えたあと松原食堂に集まって反省会(という名の飲み会)を行い、それぞれの優勝トロフィーなどはみな松原食堂さんに飾っていたそうなのです。



そういえば、旧(仮設)さんさん商店街の松原さんに初めておじゃましたとき、お座敷でワイワイやっていた宴会メンバーの方々はそんな関係のお仲間だったのかなぁとふと思い出した次第です(この時です。現在の上皇后両陛下が南三陸町にお越しになった数日後だったかと)。

話を戻しまして、津波被災前の「松原食堂」さんは地元の方々に愛される「地域の食堂」だったわけで、だから現在のメニューにも観光客向けのメニューはさほど多くもなく(ただし「南三陸キラキラ丼」イベントには参加なさっていますので海鮮メニューはきっちりあります)、そのかわりラーメンやうどん、定食などのメニューが充実しているということなのでしょう。

というわけで「全部載せ」の人気メニューたる松食うどんはランチタイムにうかがうときの定番となりつつあります。でももちろん海鮮もね。あ、忘れちゃいけないのがタコの唐揚げです。「西の明石、東の志津川」と謳われる通りここ志津川はタコが美味しくて、上記リンクの2014年夏にぷらっと入った初訪問時には「ナニコレ、こんなタコ唐揚げ、初めて食べた!」とたまげたのでありました。

その後何度も訪問する中でご夫妻ほかとも仲良くさせていただき、今回の訪問でもほぼ最初のほうで「もうお生まれになりましたよね、おめでとうございます!」とおしんこどんの発言が。ありがたいことに仲良くさせていただいております。ある意味複雑ではありますが「震災が紡いでくれたご縁」なのかなと思っています。

さてしかし、この日は岩手/秋田県境まで行かねばならないのでそろそろ出発です。と、ふと目をやると?





さんさん商店街エリアから移設させたとは聞いていましたが、なぜあんなに外れた端っこに?しかも直近には駐車場エリアもないんですが?まぁそれこそ全然目立たない場所ということで路駐したわけですが、ゆくゆくは左上画像のあたりに駐車区画が作られるのかな?



本家たるチリのイースター島でも本来は島民の守り神だったのでしょうか(よく知りませんが)。だったらこういう外れた場所で見ているのもいいのかな?そういえば震災前だか後だかのしばらくの間、どこか学校の近くになかったっけ?(記憶曖昧)。

それはともかく、このエリアにはチリとここ宮城南三陸町とを結ぶ礎(いしずえ)も保存されていました。右上画像はどうやら1990年にモアイ像を贈り、それとともにチリとこの地の友好を綴った石碑なのだと思いますが、表面に傷があることからしても、この石碑自体が「怒涛の津波に翻弄された」ことは間違いのないことです。固定されていたがゆえに、この石碑をいろいろの被災家屋や思い出の品々がこすっていったことでしょう。その痕跡を永代にわたって残すという町の保存姿勢は実にいいと思います。

でも、もう少しこの場所についてアピールしてもいいのでは?(あと駐車スペースもね)。



このあとはおしんこどんの要望により郵便局に寄ったあと‥





若柳金成ICから北上して水沢ICで下り、ここらで近隣の温泉に一つくらい入っておこうかなという感じ。この界隈、あまり目立たないながらあちこちに温泉が点在しているんですよね。で、今回は目星を付けておいたこちらへ。



やってきたのは水神温泉湯元東館。「すいじん」かと思っていましたが「みずかみ」と読むようです。湯量豊富のかけ流し湯で、この辺りの湯は単純泉系の(またはそれに近い)さっぱり湯が多いですね。



撮禁なので、公式サイトの上画像をお借りしています。
(上画像をクリックすると公式サイトが開きます)。


源泉温度44.6度ということで、加温や加水の必要もないちょうどいい湯温ですね。透明湯ですが茶系の湯の花も少々。湯口近くでは泡付きもありましてのいいお湯でした。この日はお天気もよく、湯上がりに外でクールダウンしましたがいやぁ心地いいわぁ。入浴料は400円ですが少し前までは200円、いや150円の時代もあったのだとか。まぁ余所者のわれわれとしてはこの料金で入れていただけるだけで満足です。



帰り道にはこんな看板もありました。以前入浴した千貫石温泉の姉妹館なのですね(訪問時ページはこちら)。「東館」という名前は共通ですが、あちらはホテル系、こちらは旅館系と風情も違うのでお好みでというところでしょうか。

さてここからは横手方面へと向かいます。最初は北上西ICから高速でとも思ったのですが、平日ですしさして交通量もあるまいということでR107経由で進みます。あ、錦秋湖といえば湯田ダムじゃないのさ!





特にダムに目覚めたわけでもないのですが(笑)、2023夏には秋田の森吉山ダム、秋には新潟の三国川ダムでそれぞれ堤体内見学をしたりしていましたし、そういえば同年夏には北海道の金山ダムも見学していました(見学用施設のみ)。さすがに今回「あわよくばこちら湯田ダムでも堤体内見学を」というほどの野望はありませんでしたが、せっかくなので外観だけでも見てみようと思ったわけです。



ただ、こちらのダム管理事務所は「重要管理施設」ということで関係者以外立ち入り禁止でした。いや、管理事務所そのものはどこでもだいたいそうですが、見学施設を併設していることが多いのでそこまでは入れることが多いのです。こちら湯田ダムの見学施設は別棟にあるので(ただし冬期閉鎖中でしたが)、管理棟そのものに見学客を入れる必要はないということなのでしょう。なおダムカードはインターホンで「カード希望」の旨を伝えると所員さんが持参してくれます。

ただ、ダムの堤体上は自由に歩いてよいということなので歩いていきましたが‥





というわけでTakemaは途中で挫折。あくまで反対側までの往復を完遂しようとするおしんこどんは立派です(笑)。ちなみに反対側には「雪ちゃん(ミニ雪だるま)」を安置してきたということでした。

この湯田ダムは1964年10月完成ということで、これまで60年間この地に屹立し続けてきたわけですが、風雪や水圧にもずっと耐え続けているわけですごいよなぁ。もっともそれはたゆまず続けられてきたメンテナンスの賜物でもあるわけですが。



いっぽうで、明らかに後付けの雪崩防止柵もなかなかすごい感じです。これらは柵そのものが固定されているわけではなく全て吊り下げられておりました。管理施設に続く道路には橋が架けられていますが(唯一の生命線)、モルタルが吹き付けられている斜面(崖)との隙間が狭く、上から落ちてくる雪塊が橋上に溜まってしまうのでしょうね。

というわけでおしんこどんはここでも雪ちゃん製作。何日残るかなぁ。



ちなみにR107の湯田ダム付近は国道維持の難所で、何度も崩落しては一時通行止めになっています(その時は並走する秋田道(高速)の当該区間を無料通行可能とすることで対処)。今回は通れましたが、途中には片側交互通行区間もありまして、その最たる箇所は「大規模仮設橋」(右上画像)でありました。地滑り多発地帯なので、今後はどうするんだろう?やはりトンネルか?

というわけで湯田ダム=錦秋湖を通り抜け、そろそろ今宵のお宿へと向かいます。

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