Takemaさん、今晩は。 昨年9月末に1っ週間強、インドネシアのメナドに、シーラカンスもどきを探しに&シュノーケリングをしに行ってきました**** 2009年9月末からインドネシア・メナドの近くのブナケン島というところに行っていました。写真だけUPして、「日記はパワーが居るから後日」と逃げたまま、ずっとずるずるしていたので、ここで一区切り。 ttp://mixi.jp/view_album.pl?id=22087264&owner_id=1536171 ttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=952383278&owner_id=1536171
メナド(またはマナド)はインドネシア・スラウェシ島の北端、キリスト教徒が多い国です。そしてここはまた、世界で二番目にシーラカンスが見つかった場所として有名(正確にはコモロ諸島のシーラカンスの亜種)。
ここで「シーラカンスが見つかったなら、怪魚ウモッカ(興味ある方は「謎の巨大生物UMA」というサイトを訪問下さい)も捕まっているかも!」&シュノーケル大好き&シュノーケルでもジュゴンが見られる可能性があるらしい、ということで行って来ました。
先の日記に書いた通り、メナドのブナケン島はリゾート地といいながら、一泊1,500円程度(3食付き)、ただし水シャワーあるいはバケツで水をかぶる、トイレは当然手で水洗、食事は毎食、焼き魚。
でも島の人は素朴でとても楽しかったです。村の集落の近くでイスラム教の断食月明け休みに大音量でネシア語でアナウンスされていたので(夜ですよ)、何だろう、どこかでパーティーでもやっているのではないかと探しに行ったら村の人にアナウンスしている家まで連れて行ってもらえました。家々の壁が高さ20cmくらいで、そして案内してくれた人が平気で他人の敷地に入って連れて行ってくれたことが印象的。(アナウンスは教会の修復のための募金のお誘いでした)。
丁度、断食月明け休みということで漁業も休み、メナド本土の魚市場も開店休業状態ということでウモッカ探し&シーラカンス探しは諦めました。ネシアのシーラカンスの第一発見者のアメリカの生物学者さんは今はバリ島に住んでいるとのこと。
シュノーケルには最適です。宿の裏庭が浜辺になっていて、コテージから水着でそのまま海に入れます。20mくらい泳ぐとボチボチ珊瑚が見え出して、さらに20mくらい泳ぐといきなり1,500mまでのドロップオフになります。 サンゴ礁までのアクセスのしやすさでは自分の知る限り、ケラマ諸島の阿嘉島以上でしょうか。(ただし大物は見られず、ジュゴンも見られず)
泊まった宿はほとんどが欧米のスキューバダイバーで、スキューバをしないのは僕を含めて4人、インドネシア国籍の夫婦(旦那はドイツ生まれ)とマレーシア人の若い女性。なので2日半という短い時間でしたが、僕ら4人はほとんどの時間を一緒に過ごしました。マレー女は中華系で中国語も話すし、マレー語はネシア語と似ているし、大人気。ネシア夫婦の奥さんはやはり中華系で、二人が話す時は中国語、僕を除く3人で話す時はネシア語だったのでちょっぴり悲しい。 で、マレー女(Chaiさん)はシュノーケルが出来ないので他の3人と共にシュノーケリングには行かなかったのですが、夕陽を見たい」という彼女の願いを適えるべく、ハンモックで昼寝していた僕ら3人も起き出して、皆で夕陽のベストスポットを探しに村の浜辺へジャランジャラン(散歩)しに行ったものです。 そうこうしているうち、僕はもうウモッカもシーラカンスもどうでもよくなり、Chaiさんが明日、島を離れてしまう、一日でも一緒に居たい、と彼女が島を離れるその朝に「着いて行っていいですか?」とお願いし、丸一日、メナド本土を一緒に観光しました(二人きり、と言いたいところが、ハイヤーの運転手さんがやはりChaiさんを気に入り、二人でネシア語で話していたので僕は途中からすねてしまった)。 結局丸一日行動を共にし、メナド市街に帰って来て、ホテルが満室でダブルしかないと判った時、Chaiさんは困って、僕は嬉しくて、でも結局探し回ってシングル2室に別れて泊まった時のガッカリ感たるや凄まじいもの。しかも最後の夕食を二人でワイングラスでも傾けて、と思っていたら「お腹空いて居ない」。で時間を空けて行ったら「もう済ませた」と聞いてますますガッカリ。 結局、Chaiさんからはメルアドを交換しましょう、と行ってくれたのに、すねた僕は強がってメルアドも交換せずに別れたことを今は凄く後悔しています。 彼女と別れた後で、またブナケン島に戻ったものの、今度の宿はなんと客が一人もおらず、後半は味気なくすごしました。
でも、今年のGWか9月ころには再訪したい、そしてまた、今度はChaiさんの生れた国、住んでいる国マレーシアを訪れたい、と思って旅を終えました。(長っ) |
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Takema 2009年2月5日(木) 19:33
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タカさんこんにちは、お久しぶりです。
しばらくご連絡がないなと思っていたら、そんなところに 行かれていたのですね(とはいえ9月末ということですが)。 インドネシアはシンガポールからすぐのビンタン島しか 行ったことがないため全然土地勘がなく、スラウェシ島の 近くといわれても全くわかりませんでした(苦笑)。 地図で調べてやっとわかった次第です。
それにしても「リゾート」で3食付きで1泊1500円というのは安いですね。 最近あまり物価の安い国に行っていないので(次はたぶんタイ北部ですが) その安さに驚きました。水シャワーはメナドの気温なら問題なしですね。
ハリラヤでしたか!古い話で恐縮ですが、1990年のNZワーホリの帰り、 ボルネオのキナバル登山を終えてマレーシアのKLに渡ってきたら ちょうどハリラヤで、大増結されたKL発バタワース行きの普通列車は 大混雑&大遅延(上級列車は当然全てチケット売り切れ)。 深夜のペナンで1軒1軒宿の扉をたたいて「部屋はありませんか?」と 聞いて回り、起きてくれなかった宿もありましたが、確か7-8軒回って 偶然1部屋だけ空いていて事なきを得たことを今思い出しました。
しかし浜から20mで珊瑚、さらに20mで1500mのドロップオフとはすごいですね。 わたしらもシパダン島でのスノーケリングで初めてドロップオフを見ましたが、 海が青から群青、そして黒へと変わっていくあのグラデーションは圧巻でした。 と同時に恐怖も感じたのでありましたが(Takemaはろくすっぽ泳げないので)、 ライフジャケットも着用していたのでそれは無駄な心配でしたね(笑)。 ttp://achikochi.takema.net/kaigai2/borneo04/bor04_04.html
>僕はもうウモッカもシーラカンスもどうでもよくなり >ホテルが満室でダブルしかないと判った時、Chaiさんは困って、僕は嬉しくて >すねた僕は強がって
いやー、そのお気持ち、察するに余りあるというところですね。 そういえばこれもまた古い話(1998)ですが、やはりマレーシアの コタキナバルで夕食を屋外席で食べていたら、アルバイトのビアガール (ビール会社から派遣される販促スタッフ)と妙に話が合って メールアドレスを交換(あ、ちなみにおしんこどんと知り合う前ですのでね(笑))、 「翌朝は空港に見送りに行くっ!絶対!」という彼女を空しく空港で 待ち続けたTakemaでありました。帰国後メールしても返事はなかったっけ(笑)。 ttp://achikochi.takema.net/borneo-others.htm
そのほか「ペナンの街が育んだ恋編」なんてのもあったりするんですが、 本題と外れるのでやめておきます(苦笑)。 というか、本題が何なのか自分でもよく分かりませんが(大笑)。
ではではメナド、またはマレーシア訪問記を楽しみにしております。 あ、その前にもまた書き込んで下さいね。 |
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長文ですみませんでした タカ 2009年2月5日(木) 20:26
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ハリラヤって言うんですね。 ネシアでは皆、レバランと呼んでいた気がします。 ちなみにアフガニスタンではイードと言います。 公共のボートが出ていなくて、有名なリゾートなのに 船着場はぼろくて、ずいぶんとぼったくられてスピードボート で島に渡らざるを得ませんでした。島の中の人は穏やかな 人たちだらけでしたけど。 本当に、Chaiさんとの最後の夜! は、「どうしようか、部屋を ノックしてみようか」と眠れぬ夜を過ごしたものです。 今更ながらアドレスを交換しなかったことを悔やんでいますよ (まだ独身だし(泣))
20mで1,500mは、通称です。測ったわけではないので。しかし、 シュノーケル大好きなんですが、底が見えないのは恐怖心が起こり ますね。まだ透明だから良かったですけれど。
コタキナバル、いいところらしいですね。私もタイのクラビ のバドガールの笑顔につられたことはありましたが、マレーシア と違ってタイは中々英語が通じなくて悲しい思いをしました。
KLを帰りに半日歩いたのですが、インド系、中華系、マレー系の 三民族が仲良く共存していて、「これからの国際国家はこうで なけりゃあ」とか思ったものです。 |
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Takema 2009年2月6日(金) 19:40
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いやいや、長文を楽しく拝見いたしましたのでご安心下さい(笑)。
他に選択肢がない時のタクシーなどは思い切り強気ですから、 船であってもぼったくりは仕方ないですよね。 ベトナム/カンボジア国境からプノンペンに抜けたときも、 カンボジアのイミグレを抜けたらタクシーが2台だけ。 あの時は「これは戦うまでもなく完敗、あとはお慈悲攻撃しかないな」と 観念した記憶があります。あ、これももう随分古い話です(99年)。
コタキナバルですが、こちらもここ10年で大きく変わりました。 今は高層ビルの林立する大都会ですよ。 東海岸のサンダカンはまだ規模が小さいだけあまり変わっていないかも? シパダン島へのベースとなるラハダトゥは多少ごみごみしていますが 水上家屋エリアもありよかったかなー。
マレーシアもプミプトラ政策などいろいろありましたが、 確かにうまくいっている例としてあげられると思います。 シンガポールをお手本にしたのでしょうか? |
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